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伊勢神宮の内宮と,宮中の賢所にあるとされる
八咫鏡[天照大神の御魂代]に書いてある文字の謎に迫る
- 明治時代の文部大臣,森 有礼が唱えた「神鏡ヘブル文字説」 -
「
これは,古代から日本の天皇家に伝わる
西暦九世紀に記された歴史書
『古語拾遺 』
には,
「天照大神・・・,皇孫に八咫鏡及草薙剣二種の神宝を授賜して,永く天爾 となさしむ」
と記されている。(脚注1へ)
(右上の図は,「歴史館~時のふしあな~」というサイトからいただいてきたもので,「青龍三年銘 方格規矩四神鏡」だそうである。おそらく,「八咫鏡」も,このような古代の鏡であろうと思われる。)
「
『古事記 』(和銅5年(712年)成立)
と,日本最初の
『日本書紀 』(養老4年(720年)成立)
の中の,
(次田真幸「古事記 (上) 全訳注 講談社学術文庫 207」講談社,1977年。86-91ページ。 宇治谷 孟「日本書紀〈上〉 全現代語訳 (講談社学術文庫)」講談社,1988年。39-44ページ。 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注「日本書紀〈1〉 (岩波文庫)」岩波書店,1994年。74-90; 441-446ページ。 「神を探求する人類の歩み」ものみの塔聖書冊子協会,1990年。191ページ参照。)
『日本書紀』(の現代語訳)の記すところによれば,「
「三種の神器 」
を賜った,とある。(脚注3へ)
(宇治谷 孟「日本書紀〈上〉 全現代語訳 (講談社学術文庫)」講談社,1988年。62ページ。 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注「日本書紀〈1〉 (岩波文庫)」岩波書店,1994年。132,458ページ。)
この「
「草薙剣 」
「八尺瓊勾玉 」(八坂瓊曲玉)
の三つを指す。
(次田真幸「古事記 (上) 全訳注 講談社学術文庫 207」講談社,1977年。76,77,80,87,88,99,101,176,178ページ,etc。 宇治谷 孟「日本書紀〈上〉 全現代語訳 (講談社学術文庫)」講談社,1988年。37,38,40,43,47,48,49,62,65,67ページ,etc。)
(「三種の神器(じんぎ)」
「1 皇位のしるしとして,代々の天皇が伝承する三つの宝物。八咫鏡(やたのかがみ),草薙剣(くさなぎのつるぎ),八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)をさす。天孫降臨に際して,天照大神から授けられたものとする。みくさのかむたから。 2 ・・・(略)」
(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) © Shogakukan
1988/国語大辞典(新装版)©小学館 1988)
この「
「内宮 」
(皇大神宮(こうたいじんぐう)のこと。祭神は天照大神。)に安置されている。
(注: (-)マイナスの部分をクリックすると,
より「広範囲」を表示することができる。
また,地図上で,マウスを左クリックしたまま移動すれば,
「別の場所」も表示できる。)
そして,そのレプリカ(複製)が,「
「賢所 」
(内侍所(ないしどころ)とも言った。平安時代は,平安京内の「温明殿(うんめいでん)」に,鎌倉時代以後は「春興殿(しんこうでん)」にあった。
と呼ばれる場所に置いてある。(脚注4へ)
(やた‐の‐かがみ【八咫鏡】
「(巨大な鏡の意) 三種の神器の一。記紀神話で天照大神が天の岩戸に隠れた 時,石凝姥命イシコリドメノミコトが作ったという鏡。天照大神が瓊瓊杵尊ニニギノミコトに授けたといわれる。伊勢神宮の内宮に天照大神の御魂代として奉斎され,その模造の神鏡は宮中の賢所カシコドコロに奉安される。まふつのかがみ。やたかがみ。神代紀上「中つ枝には―を懸トリカけ」
「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年。)
このように,「
昔から日本人の間では,その箱を開けて中味(
現在でも,「
それだけでなく,「
さらにまた,「
このように,今日,誰も見ることができない「
よく知られている容器の名は,
「御船代 」
と呼ばれ,そして,もう一つは,
「御樋代 」
と言う。
(みふなしろ【御船代】とは,
「(「み」は接頭語) 伊勢神宮で御樋代をおさめるものを尊んでいう語。ふなしろ。」
みひしろ【御樋代】とは,
「神社で神体を納める器を尊んでいう語。特に,伊勢神宮のものをいう。ひしろ。」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) © Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)©小学館 1988)
「
まず最初に,「
『延喜式 伊勢大神宮造備雑物』
という書物には,
「長さ七尺三寸 内五尺七寸,広二尺五寸 内二尺,高二尺一寸,内深一尺四寸」
と記されている。
(木村鷹太郎著「世界的研究に基づける日本太古史(下巻)」八幡書店,昭和58年(1983年)(原著は,博文館,明治44年(1911年)。319ページ。)
次に,「
『皇大神宮儀式帳 』
に,
「高さ一尺四寸,深さ八寸三分,内径一尺六寸三分,外径二尺」
と記されている。(脚注7へ)
(小谷部全一郎著「日本及日本國民之起原」厚生閣,昭和4年(1929年)(平成11年6月,八幡書店より復刻)。346ページ。木村鷹太郎著「世界的研究に基づける日本太古史(下巻)」八幡書店,昭和58年(1983年)(原著は,博文館,明治44年(1911年)。320ページ。)
(こうたいじんぐうぎしきちょう【皇太神宮儀式帳】とは,
「宮司大中臣真継,禰宜荒木田公成,大内人磯部小紲らが神祇官に奉納した文書。一巻。延暦二三年成立。皇大神宮の年中行事,儀式のほか,鎮座の伝承,装束神宝の細目,式年遷宮の制度など二三か条を記したもの。」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) © Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)©小学館 1988)
この『
「内径一尺六寸三分」
の容器(
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注「日本書紀〈1〉 (岩波文庫)」岩波書店,1994年。377ページ。 ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。285,286ページ。 久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。104ページ。)
なお,『文永
「高一尺七寸八分。口径一尺。蓋口径九寸樋代 の内には黄金の樋代 あり」
とあって,「
「広辞苑」第五版でも,「
また,幕末・明治の国学者,
「御樋代 内の御形容は黄金の函ありて,御正体は往古より錦袋に納め安置し奉れるを,遷宮の度ごとに新しき袋を調りて旧の袋のままにて納奉る例なり。されどあまりに重の高くなり給へば,近ごろは,已然 の一つと取替奉るここと為れりと聞けり。其 黄金函の寸法は,高さ一尺三寸,径九寸。覆蓋にて,黄金の合せ目は,鋲と云ふものにてつなぎたり。さて蓋にも身にも處々に屋形の図を鐫(き)り付けたり。此は明治六年四月に宮中にて親しく写したる図を以つて記せるなり」
と書かれている。
(飯田武郷著「日本書紀通釈」第一巻。明治32年成立,同35~42年刊。454ページ。小谷部全一郎著「日本及日本國民之起原」厚生閣,昭和4年(1929年)(平成11年6月,八幡書店より復刻)。346ページ。木村鷹太郎著「世界的研究に基づける日本太古史(下巻)」八幡書店,昭和58年(1983年)(原著は,博文館,明治44年(1911年)。321,322ページ。)
このように,明治6年に,
「径九寸」
であったと報告している。
(一「寸」(すん)は,約3.03センチ。)
それゆえ,
(水上 涼著「ユダヤ人と日本人の秘密―古代史最大の謎 聖書と家紋が明かす真説・日ユ同祖論」日本文芸社,平成4年。163ページ。)
さて,これまで考慮したきたように,「
しかし,「
ところが,近年になってから,「
そして,驚くべきことに,その中の幾人かの述べるところによれば,「
ヘブライ語の文字が刻まれている
というのである。
しかし,これは,本当の話なのであろうか。
ことの発端は,明治時代の文部大臣,
森 有礼
(もり ありのり。明治時代の政治家。思想家。教育家。1847年(弘化4年),薩摩藩の下士に生まれる。徴士外国官権判事。議事体裁取調,学校取調兼勤。若干24歳にして,初代の少弁務使(駐米公使)。維新後,清国公使・英国大使。1873年(明治6年),その年にちなんで「明六社」を設立し,西洋思想(男女同権)の啓蒙につとめる。参事院議官。文部省御用掛兼務。1885年(明治18年),38歳の時に,第一次伊藤内閣の文部大臣(文相)。教育制度の改善に尽くしたが,その進歩的思想と果断な性格が誤解を招き,1889年(明治22年)2月11日,帝国憲法発布の当日,国粋主義者の西野文太郎に刺され,暗殺された。1889年(明治22年)2月12日没。享年43歳。)
が唱えた,「
(久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。104-110ページ。 ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。285-288ページ。)
それによると,当時,文部大臣であった
“'Ehyeh 'Asher 'Ehyeh”
「エフエ ・アシェル・エフエ」
と刻まれているのを,自分の目で見たというのである。(脚注10へ)
この,
森 大臣が生きていた明治時代に訳された聖書翻訳は,そのヘブライ語を次のように訳している。
「神モーセにいひ給ひけるは我 は有 りて在 る者なり(“ I AM THAT I AM ” 欽定訳聖書 。 脚注11へ )又 いひ給ひけるは 汝かくイスラエルの子孫 にいふべし我有 り(“I AM”欽定訳聖書)といふ者 我を汝らに遣はし給ふと
神またモーセにいひ給ひけるは 汝かくイスラエルの子孫 にいふべし 汝らの先祖等 の神アブラハムの神イサクの神ヤコブの神エホバ われを汝らにつかはし給ふと是 は永遠 にわが名となり 世々にわが誌 となるべし」
-出エジプト記3:14,15。[文語訳聖書]
これは,モーセが神(創造者)に対して,
「我 イスラエルの子孫 の所にゆきて 汝らの先祖等 の神我 を汝らに遣はし給ふと言はんに彼等 もし其 名 は何 と我 に言はば何 とかれらに言ふべきや」
-出エジプト記3:13。[文語訳聖書]
と尋ねた際,神が自らお答えになったものである。
(M・トケイヤー著「ユダヤと日本 謎の古代史」産能大学出版部,昭和50年(1975年)。126ページ。)
ここで神は,「ある」「いる」「なる」という意味のヘブライ語動詞,
“hayah”「ハーヤー」(ストロングナンバーは,「01961」)
の未完了態「一人称単数」(「私は」の形)である
“'Ehyeh”「エフエ」
という言葉を用いて,
「我有 り」(“I AM”欽定訳聖書)
という者が,わたし(モーセ)をあなた方(イスラエル人)のもとに遣わされたと言いなさい,とモーセに指示された。(出エジプト記3:14)
そして,そのように言われた後,神は,ご自分の
「ヤハウェ」(エホバ。ストロングナンバーは,「03068」。)
であることを明らかにされたのである。(脚注12へ)
この,神自らがモーセに話し,聖書に記されている言葉が,日本の伊勢神宮にある「
これは,実に驚くべきことではないだろうか。
この,
しかし,彼は,ときの「文部大臣」,つまり,日本の学術,教育,文化,学校等に関する行政機関の長であった。
さらに,彼は,当時,第一次伊藤内閣の文部大臣として,教育制度の改善に尽くし,「学校令」の公布など,教育制度の基礎を固めた人物であった。そんな彼の経歴を見ても,彼がウソをついているとは思えない。
(がっこう‐れい【学校令】とは,
「明治一九年文部大臣森有礼によって制定された教育に関する法令の総称。帝国大学令,師範学校令,中学校令,小学校令,諸学校通則など。」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) © Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)©小学館 1988)
しかし,「
詳しいことは分からない。いずれにしても,「
そして,残念なことに,
もし誰かが,「
しかし,「
では,その人たちの話にも,耳を傾けてみよう。
今から半世紀以上前,日本は太平洋戦争(昭和16年~昭和20年)で負けた。
その時,GHQ(第二次世界大戦後,日本に置かれた連合国軍の総司令部)の将軍が,強制的に「
しかし,残念ながら,その時に見たという物の記録は,まったく残っていない。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。286ページ。)
しかし, その後,
中田重治
(なかだ じゅうじ。日本ホーリネス教会の創立者。東洋宣教会ホーリネス教会(その後「日本ホーリネス教会」と改称)初代監督。同教会分裂後は,その一方の「きよめ教会」監督。「聖書より見たる日本」(中田重治全集第二巻。福音宣教会,昭和7年)という著書は,非常に有名。1870年-1939年(昭和14年)没。)
の率いる「ホーリネス教会」(きよめ教会)で発行されていた機関誌「きよめの友」(昭和23年5月10日付)に,同教会の牧師
生田目俊造
(いくため しゅんぞう。茨城県広磯町の「きよめ教会」牧師。)
が,「神秘日本」と題する一文を載せた。
そこには,たいへん興味深いことが書かれていた。少し長いが,ここに引用する。
なお,文中に「恩師」とあるのは,当時(昭和23年当時)すでに故人となっていた,ホーリネス教会の創立者,
この文章が書かれたのは,その「恩師」
「恩師の 私はどうしても日本人の中には何か神秘的なものがあると感ぜられる。 今より語らんとする事によつてわが民族がこの神の選民と驚くべき関係にある事を悟り, これよりして その日の恩師夫人は常になく 「今より語る事は必ず口にも筆にも と その当時の情勢としてはこれは必然の事である。 昨日A学院のS博士が突然わが聖書学院に来訪されて 非常に その鏡の裏に現わされてあつたものがはじめは模様とのみ見られたが それは模様にあらずして 驚くべし,ヘブル語である事が さあ大変 そこで選ばれたのがA学院のS博士である。 早速御 博士がこれを拝見するに, 旧約聖書 「 と刻まれてあつた。 博士は もとより写真に撮る事も写すことも, 我が恩師のかねてよりユダヤ人問題に関してその名高ければ早速来られて 恩師にのみその 恩師また信仰の子供である我等に親しくこの秘密を 祖国日本民族 ああ ああ これ神秘なるかな奇なるかな。 然 我が祖国の歴史をヘブルにさかのぼらんとするにはあらねども, わが日本が「ただの国にあらざる事」だけは信ぜられる。 やがて神の国の この朝の家拝は終始わが 恩師の信じたものを堅く信じて来た。 鏡に 「 はまた ・・・( 鏡には ああ 尊き神の 「 日本に 最も尊き この国に建国以来この神の 「 (イザヤ書四十五章) とは 「エホバは わが日本とイスラエルを結び (「きよめの友」誌 昭和23年5月発行号(「きよめ教会」機関誌。昭和23年5月10日付), 生田目俊造著述の「神秘日本」と題する記事より。 三村三郎著「ユダヤ問題と裏返してみた日本歴史」 八幡書店,昭和59年(原著は,昭和28年,日猶関係研究会発行)。23-28ページより抜粋。 この本は,平成12年に,八幡書店より新装版として再発行されている。 なお,漢字の「ふりがな」は,possibleによる挿入。) |
この中に,「A学院のS博士」と何度も出てくる匿名の人物は,「青山学院」のヘブライ語学者,
左近義弼 博士
(さこん よしすけ。文学博士。元・青山学院教授,国際基督教大学教授の左近義慈氏の兄。戦時中に故人となる。)
のことを指している。(脚注13へ)
(三村三郎著「ユダヤ問題と裏返してみた日本歴史」八幡書店,昭和59年(原著は,昭和28年,日猶関係研究会発行)。34ページ。この本は,平成12年に,八幡書店より新装版として再発行されている。 ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。286ページ。 「レムナント」誌(レムナント出版発行)1997年10月号 No.99。37ページ。)
この点に関し,
三村三郎
(みむら さぶろう。毎日新聞記者。「日猶懇話会」副会長。「日猶懇話会」関西事務局長の藤井哲夫氏と共に,月刊「シオン通信」(第一号は,1951年(昭和26年)9月8日付)発行者。主な著書に「ユダヤ問題と裏返してみた日本歴史」(日猶関係研究会,昭和28年)がある。)
は,その著書(昭和28年発行)の中で,次のように結論している。
「モシ「賢所 」に奉斎 している神鏡 の裏面 に生田目 氏のいう如 くヘブライ文字で,しかもヘブライ語で,イスラエルの神「エホバ」を表象 する「我 は有 りて在 る者なり」を刻 してあるとするならば,それは当然神鏡 の原型たる八咫鏡 の裏面 にも同様のヘブライ文字が刻 してあることになり,日本の皇室 は古来 イスラエルの神エホバを拝し,したがつて日本民族はしらずしらずのうちにこれを信奉 し支持してきたことになるであろう。」
(三村三郎著「ユダヤ問題と裏返してみた日本歴史」八幡書店,昭和59年(原著は,昭和28年,日猶関係研究会発行)。31ページ。この本は,平成12年に,八幡書店より新装版として再発行されている。)
(注: (-)マイナスの部分をクリックすると,
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また,地図上で,マウスを左クリックしたまま移動すれば,
「別の場所」も表示できる。)
さらに,昭和27年頃のこと,元海軍大佐の
「日猶懇話会」
(にちゆ‐こんわかい。日本とユダヤの関係を研究し,その親善を目指す団体。分かる範囲で,団体のメンバーは,以下のとおり。
名誉会長は,下中弥三郎。 会長は,犬塚惟重。 副会長は,三村三郎,三浦関造。 常任理事は,安江弘夫,富岡宰一郎,川口選治郎,西山 茂,宮原 忠,後藤光男,金藤光槌。 理事は,藤沢親雄,武田南陽,仲木貞一,山根菊子,島谷幡山,小西干比古,古屋登世子,真野勝利,椿 真六,寺村銓太郎,鏡沼保世,中里義美,小笠原孝次。 顧問は,佐伯好郎,小辻節三,山本英輔。 事務局長は,香川治義。 関西事務局長は,藤井哲夫。その他)
という団体が結成された。
(三村三郎著「ユダヤ問題と裏返してみた日本歴史」八幡書店,昭和59年(原著は,昭和28年,日猶関係研究会発行)。185,253,254ページ; 244-298ページ。この本は,平成12年に,八幡書店より新装版として再発行されている。)
昭和28年1月25日の例会は,早大,東大卒のユダヤ人で,当時「在日ユダヤ民会」幹部であった,ミハイル・コーガン(Michael Kogan)という人の,東京・港区にある邸宅で開かれていた。
この例会には,皇族の
三笠宮崇仁 親王殿下
(みかさのみやたかひと しんのうでんか。皇族。大正天皇の第4男子で,昭和天皇の弟にあたる。幼称は澄宮(すみのみや)。1935年(昭和10年)三笠宮家を創立。陸軍士官学校48期。陸軍大学校卒業。第二次世界大戦中は,支那(しな)派遣軍参謀。戦後,東京大学史学科の聴講生となり,古代オリエント史の研究を始める。ヘブライ語を流ちょうに話し,古代オリエントや古代ヘブライ語に関する深い知識を持った考古学者,歴史学者としても知られるようになる。「歴史学研究会」会員。「日本オリエント学会」組織者,名誉会長。「日本レクリエーション協会」総裁。「中近東文化センター」総裁。主な著書に,「帝王と墓と民衆-オリエントのあけぼの」(1956年),「古代オリエント史と私」(1984年),訳書にJ・フィネガン「考古学から見た古代オリエント史」(1983年)などがある。大正4年12月2日生-。 )
も臨席していたが,この席上で,ホーリネス教会に属する尾崎喬一牧師(新宿区に住む,東洋宣教会きよめ教会本部牧師)が,
それを,この時,同席していた「東京イブニングニュース」(Tokyo Evening News)の支局長が,
“Mikasa Will Check the Hebrew Words on the Holy Mirror!”
「神鏡のヘブル出所説を三笠宮氏が調査!」
と題して,翌日付(昭和28年1月26日付)の同紙にスッパぬいた。この記事は,当時大変に話題になったようである。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。286ページ。)
その記事によると,
「自分で問題の鏡を見ることはできない。なぜならば今日でも,鏡と玉と剣の三種の神器は,皇居内の奥深い聖所から取り出すにはあまりに恐れおおいと考えられており,天皇すらも鏡を見たことがあるとは思われぬので,宮内庁の記述か,口述か,いずれかの報告を基礎にして,自分が調査書を作成することになろう。」
(昭和28年1月26日付「東京イブニングニュース(Tokyo Evening News)」誌。 「神鏡のヘブル出所説を三笠宮氏が調査!」 (“Mikasa Will Check the Hebrew Words on the Holy Mirror!”)という見出しの記事より。)
しかし,その後,
この点に関して,ある人は,
また,この点に関しては,次のように言う人もいる。
「確かに,噂がウソならウソと断言し,不明なら不明というはずだが,そののち宮がダンマリを決めているところを察すると,『あるいは?』と思われる。
実際,オリエント学会の会員でもあり,三笠宮殿下の知遇を得ている大阪のH氏は,『宮様自身から直接,八咫鏡 の噂は本当であると聞いたことがある』と筆者に語ったことがある。」(脚注14へ)
(武内 裕著「日本のキリスト伝説 (1976年)」大陸書房刊。183ページ。)
さて,「
ジャン・エルべール 博士
は,日本の伊勢神宮に納められている「
(久保有政著「古代日本にイスラエル人がやって来た」レムナント出版,1995年。21ページ。)
この博士が述べたことを根拠にして,ユダヤ人の言語学者,ヨセフ・アイデルバーグ(Joseph Eidelberg。大正5年-昭和60年没)は,その著書の中で次のように述べている。
「古代日本人がヘブライ文を実際に使った可能性を示す興味ある証拠の一つは神道の有名な学者から来ている。
彼の主張によれば,日本人が最も神聖なものとする物体(三種の神器)の一つである黄金の鏡,その裏には古代ヘブライ文字で,I am that I am (私は有 って有 る者なり)と刻まれていると,フランスの有名な東洋学者で,日本神道研究家ジャン・エルベール博士は述べている。旧約聖書から解るように,これはシナイ山で主がモーゼにいった神の言葉である。」
(ヨセフ・アイデルバーグ著「大和民族はユダヤ人だった―出エジプトから日本への道」たま出版,1984年。140,141ページ。)
また,1930年代には,イスラエルの新聞
「ハ・アーレツ」
(「ハ」はヘブライ語の冠詞,「アーレツ」は「地」という意味なので,「ハ・アーレツ」とは「その地」という意味である。イスラエル人にとって,この表現は,「イスラエル国」を意味する。)
に,日本の皇室の「
その記事によると,「
また,別の記事では,その「聖なる鏡」(注:「ハ・アーレツ」誌が伝えてるのは,宮中の「賢所」のもの,すなわち,「レプリカ」)の裏に,「
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。116ページ。)
さらに,「
神道研究家の
藤沢親雄 博士
(ふじさわ ちかお。数学界の権威,藤沢力太郎博士の長男。元・九州帝大教授。前述の「日猶懇話会」理事。「日猶関係研究会」の創立者の一人。「在日ユダヤ居留民団」顧問。神道研究家。十数ヶ国語に通じる語学の天才として知られる。著書には,日本語版,外国語版等多数。英語が堪能で,神道の考え方をアメリカの一般市民に英語で説明することが出来たため,アメリカにおいて大変有名になった日本人の一人。)
である。
この点に関して,1968年からの約10年間,「日本ユダヤ教団」のラビ(教師)をしていた,マーヴィン・トケイヤー(1936年生-)は,その著書の中で,次のように述べている。
「藤沢博士は日本の三種の神器 は,すべて古代ユダヤの宗教と関係があると信じたのである。草薙 の剣 はアーロンの持っていた杖であり,曲玉 はユダヤ民族が砂漠で神からもらったマナを入れる容器に相当するものであると考えた。
そして,八咫鏡 は,神の十戒を書いた石の板がそれに相当すると藤沢は考えたのである。・・・(中略)
さらに日本の伝承には,日本の八咫鏡 の内部には金の小さな箱があり,それは約一・五インチの大きさであったという。この鏡の中の金の箱を雄略 天皇があけたとき,そこから煙が出て,中のものは全部消えてしまったと記されているという。
これはちょうど古代ユダヤの民が,神からもらった食物であるマナを入れた箱をひらいて見たとき,粉になって,煙となって消えたという話と全く似ているという説を,この藤沢博士は唱えたのである。
この藤沢博士が,また八咫鏡 のうしろに三個のヘブライ語の文字が書かれていて,それは旧約聖書の “私はあってあるもの” また “私は永遠なるもの” という神自身の名前が書きつけられていると信じた人物であった。」
(M・トケイヤー著「ユダヤと日本 謎の古代史」産能大学出版部,昭和50年(1975年)。96,97ページ。 ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。151ページも参照。)
さらに,「
矢野祐太郎
(やの ゆうたろう。元海軍大佐のエリート将校。神道家。親猶主義者。「竹内文書」の研究家。「神政龍神会」の組織者。天皇崇拝の観点から,様々な方面へ神政復古を働きかけた。戦前数年間獄につながれ,獄中で怪死したと伝えられる。)
という人物である。
矢野氏は,皇室の宝である「
そして,矢野氏は,この
そして,矢野氏は,「
その図(絵)は,ラビ・M・トケイヤー氏や,久保有政氏の書いた本に印刷されており,今では,誰でも見ることができる。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。287ページ。
および,久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。105ページ参照。
(矢野祐太郎氏が写した「八咫鏡」の全体図(大きな画像)は,ネット上でも見ることができる。
下記の「レムナント出版」のサイトにある,“Israelites Came To Ancient Japan”という英語の記事の,“Yuutarou Yano Who Copied the Pattern of the Mirror of Yata”という部分。
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracam4.htm
なお,出典が定かではないものの,これとは「異なる」画像も存在するようなので,参考にできると思う。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/newpage31.htm)
さて,矢野氏が,「
矢野氏は,これは,古代日本の「
この点に関して,ラビ・M・トケイヤー氏は,こう述べている。
「これを日本の神代文字 と考える彼の解釈には,矛盾がある。同じ文字が数ヶ所に使われているのに,彼の解釈では別の文字として読まれているからである。また,横書きの神代文字 というものを私は見たことがない。」(脚注16へ)
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。288ページ。)
一方,矢野祐太郎氏と同じく,「八咫鏡」の本物,または,その写しを見たという,
(ヘブライ‐ご【―語】 (Hebrew)とは,
「ユダヤ民族によって用いられている言語。アフロ‐アジア語族中のセム語派西北セム語群の一。古代ヘブライ語は前9世紀~1世紀にパレスチナで用いられ,旧約聖書はこれで書かれた。ユダヤ人のバビロン捕囚以後,日常語としてのヘブライ語は衰退するが,1948年イスラエル建国とともに現代ヘブライ語として復活し,公用語に採用。綴りの方向は左進み。」
「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年。)
では,ここで,その「
ここでは,その写しの「中央の円」の中の文字を大きく示してみる。
そこには,以下のように記されている。↓
矢野 祐太郎氏が写し取ったという 「八咫鏡」の裏面の図より。 上記のものは,その中の 「中央の円」の中の文字。 |
いかがだろうか。
そこに記されている文字を見てみると,確かに,「ヘブライ語」によく“似て”いる。
この内,上段の文字は,「三文字」である。
これは,聖書の出エジプト記3章14節に出てくる,「
“'Ehyeh 'Asher 'Ehyeh”
「エフエ ・アシェル・エフエ」
の真ん中の“'Asher”「アシェル」(ストロングナンバーは,「00834」)と同じ「三文字」である。
(一番右の文字は,英語の“ B ”の字に似ているが,ヘブライ語の古い書体では,「アーレフ」( ' )は,このような形にも書いたことが古い文献から知られているようである。)
一方,円の中の下段の文字は,「四文字」である。↓
矢野 祐太郎氏が写し取ったという「八咫鏡」の裏面の図より。 その中の,「中央の円」の中の「下段」の文字。 |
これは,
“'Ehyeh”「エフエ」(ストロングナンバーは,「01961」)
の「四文字」に“似て”いる。
(矢野氏が書いた図を見ると,ヘブライ語アルファべットの「へー」(H)に“似た”文字が,右から二番目と四番目に2つあるのが分かるが,あとの二文字(一番右と三番目)は,違うようにも見える。)
もし,上段の文字が「アシェル」で,下段の文字が「エフエ」なら,「エフエ」を2回読ませて,
「エフエ ・アシェル・エフエ」
すなわち,「
(久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。108ページ。 「レムナント」誌1997年10月号 No.99。41ページ。レムナント出版発行。)
しかし,この点に関しては,別の解釈もできるようである。
もう一度,矢野氏の書き写した「
矢野 祐太郎氏が写し取ったという 「八咫鏡」の裏面の図より。 上記のものは,「中央の円」の中の 「下段」の文字。 |
これは,「エフエ」という言葉よりも,むしろ,神の御名「ヤハウェ(エホバ)」を表す「テトラグラマトン」(神聖四字)
“YHWH”(ストロングナンバーは,「03068」)
と,“そっくり”である。
(「レムナント」誌1997年10月号 No.99。42ページ。レムナント出版発行。)
また,円内上段の「三文字」
矢野 祐太郎氏が写し取ったという「八咫鏡」の裏面の図より。 その中の,「中央の円」の中の「上段」の文字。 |
は,「光」を意味するヘブライ語,
“'ohr”「オール」(ストロングナンバーは,「00216」)
ではないかと,
(久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。109ページ。
このヘブライ語に関しては,「参照資料付き聖書-新世界訳」(ものみの塔聖書冊子協会,1985年)のヨブ記36:32脚注参照。
また,ヘブライ語辞典をお持ちの方は,
名尾耕作編著「旧約聖書ヘブル語大辞典 (1982年)」聖文舎,1982年(2003年に教文館より「改訂第3版」が発行された)。26ページ。
および,「The Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon」(BDB)の21ページを参照。)
とすれば,「
実際,「旧約聖書」には,
「命の源はあなたのもとにあり,わたしたちはあなたからの光(ヘブライ語,)によって光を見ることができるからです。」
-詩編36:9。[新世界訳聖書]
とある。
さらに,「新約聖書」には,こうも書いてある。
「そして,わたしたちが彼から聞き,あなた方に告げ知らせている音信はこれです。すなわち,神は光(ヘブライ語,)であり,神との結びつきにおいてはいかなる闇もありません。」
-ヨハネ第一1:5。[新世界訳聖書]
(ヨハネ第一1:5で「光」と訳されているギリシャ語,“φωσ”「フォース」のヘブライ語への翻訳は,
「Hebrew New Testament」(UBS, 1976); 「Hebrew New Testament-FL」(Bible Society in Israel, 1995),「Hebrew-English Diglot Bible-NKJV/FL」(Bible Society in Israel, 1996)より。)
しかし,私,possibleは,円内上段の「三文字」に関しては,私なりの別の可能性も指摘しておきたいと思う。
では,もう一度,文字をよ~く見ていただきたいと思う。
矢野 祐太郎氏が写し取ったという「八咫鏡」の裏面の図より。 その中の,「中央の円」の中の「上段」の文字。 |
この三文字のうち,「一番左の文字」は,平仮名の「ら」とそっくりのではないだろうか。
そのことを確認していただいたあと,今度は,「日本語の「仮名」と「ヘブライ文字」の不思議な関係」という記事の,「日本語-ヘブライ語対比表」の,ひらがなの「ら」の部分を見ていただきたい。
そうすると,この文字に一番「似ている」ヘブライ文字は,「レーシュ」よりも,むしろ,「ラーメド」という文字である。
それゆえ,私は,この「三文字」は,「光」を意味するヘブライ語「オール」よりも,むしろ,
“'ul”「ウール」(ストロングナンバーは,「00193」)
に近いのではないかと感じる。
このヘブライ語の意味は,「からだ」(body)である。
(ヘブライ語辞典をお持ちの方は,
名尾耕作編著「旧約聖書ヘブル語大辞典 (1982年)」聖文舎,1982年(2003年に教文館より「改訂第3版」が発行された)。23ページ。
および,「The Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon」(BDB)の17ページを参照。)
また,ストロングの辞書には,“mighty”とか“strength”と書いてあり,日本語に訳せば,「力のある(強力な)」「強さ(力)」という意味もあることが分かる。
とすれば,「
この,「光なるヤハウェ」,“mighty Yahweh”(力あるヤハウェ),「ヤハウェのからだ」という意味のヘブライ語は,「
「この鏡はひたすらに私の御魂 として,私を拝むのと同じように敬ってお祭りしなさい。」(脚注17へ)
(次田真幸「古事記 (上) 全訳注 講談社学術文庫 207」講談社,1977年。178ページ。)
と言われ,その「
そして,もし,その
そして,への信仰を日本建国の柱とするために,
「エフエ ・アシェル・エフエ」 |
「オール・ヤハウェ」 |
「ウール・ヤハウェ」 |
と記したのかもしれない。
しかし,それが,時代を経るに従って名を変え,「
(「レムナント」誌1997年10月号 No.99。43ページ。レムナント出版発行。)
実際,聖書の詩編というところには,
「そは 神エホバは日 なり盾なり」
-詩編84:11。[文語訳聖書]
と書いてある。
(注:
マラキ4章2節の聖句も参照。
そこでは,イエス・・キリストが,「義の太陽」(「義の日(ひ)」文語訳)と表現されている。「イエス」(アラム語「イシュ」)が,「伊勢(イセ)」と呼ばれるようになった可能性も否定できない。
イエスが地上で活躍した時期と,天照大神が今の場所に鎮座したと言われてる時期が,共に「今から2000年前」と言われてる点も,そっくりである。)
前述の,
「この国に建国以来この神の聖名は秘められていたのであつたろうか。・・・
「エホバは日 なり盾なり」と三千年の昔 わが日本とイスラエルを結び給いし奇 しさに心がおどる。」
(「きよめの友」誌 昭和23年5月発行号(「きよめ教会」機関誌。昭和23年5月10日付),生田目俊造著「神秘日本」という記事より。 三村三郎著「ユダヤ問題と裏返してみた日本歴史」八幡書店,昭和59年(原著は,昭和28年,日猶関係研究会発行)。27ページ。この本は,平成12年に,八幡書店より新装版として再発行されている。)
(あまてらす-おおみかみ【天照大神・天照大御神】とは,
「高天原の主神。日の神。伊邪那岐命の娘。弟素戔嗚尊の粗暴なふるまいを怒って天の岩屋戸に隠れた神話や,日月離反の神話が伝わる。伊勢皇太神宮にまつられ,皇室の祖神として崇拝されてきた。」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) © Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)©小学館 1988)
このように,もしかしたら,「聖書」(キリスト教)の信仰がもとになって,
しかし,ヘブライ語学者で,神学博士の
博士は,こう述べている。
「ナギ,ナミ二尊 ,ニニギノ命 ,神武 天皇は「アナニエヤ 」とエホバに対する信仰を告白している。従ってその直線上にある国祖天照大御神もエホバ礼拝者である。「ヨ・イセ」の信仰告白は「エホバは救の神なり」の義で,「伊勢」は天照大御神 の拝神エホバを救の神として祭った所で,天照大御神 は,人間でいらっしゃるから自分を拝めと御自分を信仰の対象とせられた所でない。」
「普通「イセ」といえば「御伊勢さま」とも称えて,それを天照大御神 の代名詞でもあるかのように誤解している。従って,「イセ」は天照大御神 を礼拝する場所でもあるかのように錯誤 している。しかし既に解説した「ヨイセ 」の信仰告白にも明示せられてあるが如 く,「イセ」とは天照大御神 の拝神エホバを,救いの神として祭祀 したところで,決して天照大御神 は,御自身を礼拝の対象とせられた所ではないのである。」
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(1987年)(原著は,昭和31年(1956年)12月)。482,374ページ。)
そうすると,あの
「日本建国の神」
として
実際,
「何事 の在 しますかは知らねども,かたじけなさに涙こぼるる」
という歌で表現した。(脚注19へ)
(ラビ・M・トケイヤー著/久保有政訳「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。296ページ。「訳者あとがき」。 川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(1987年)(原著は,昭和31年(1956年)12月)。223ページ。)
「日本に来た最初のキリスト教徒」という記事では,
西暦198年か199年
あるいは,遅くとも西暦四世紀という非常に早い時代に,「キリスト教」が日本に伝わっていた可能性があることを指摘していた。(脚注20へ)
そして,昔の日本の国名
ヤマト |
とは,
「ヤハウェの民」
という意味だと,ユダヤ人の言語学者ヨセフ・アイデルバーグ(大正5年-昭和60年没)が述べていたことにも言及した。
(ヨセフ・アイデルバーグ著「大和民族はユダヤ人だった―出エジプトから日本への道」たま出版,1984年。104,105,207,212ページ。 久保有政+ケン・ジョセフ著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史〈2〉―仏教・景教篇」徳間書店,2000年。129ページ。 久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。113,114ページ。)
また,その記事では引用しなかったが,前述の神学者でヘブライ語学者でもある
「既に,我が皇室も我が民族も共々にエホバを拝し,これに奉仕していることが明瞭である。昔から神職も国学者も,今となっては,その理由さえ忘却しているけれども,「八」即ち「ヤ」という文字と発音を非常に神聖視して来たことは当然である。それもその筈 ,その「ヤ」はエンヤラヤーの「ヤー」である。ハレルヤーの「ヤー」である。天地創造のただ独りの真 の神の聖名 で,特別なる意味において,日本建国の神の聖名 である。こうなると「ヤ」の音を含む古語,古名の再検討の責任を生ずる。
「ヤシマ」() 「ヤマト」()は共に「エホバ樹立 し給えり」“The Lord settled or established”の義に非 ざるか。」
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(1987年)(原著は,昭和31年(1956年)12月)。407,408ページ。)
この点で,さらに興味深いと思うのは,大和(ヤマト)国の現在の国名である
日本 |
という言葉である。
興味深いことに,この国名を,ヘブライ語の文字で
神の御名 が現れる
のである。
このことに最初に気付いて述べたのは,大の親日家で,エルサレムのヘブライ大学で「東アジア学」を教える
ベン・アミ・シロニー博士
である。
日本語がペラペラの博士の説明によれば,「ニホン」をヘブライ語で書くと,「真ん中に神の
(「レムナント」誌1998年5月号 No.106。50ページ。レムナント出版発行。 久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。276,277ページ。)
ユダヤ人たちが,普段の生活で文字を書く「クティーブ・マレー」というやり方(脚注21へ)で「日本」(ニホン)と
「ニホン」
となる。
(なお,「現代ヘブライ語」では,日本は「ヤパン」と言う。
この現代ヘブライ語の単語は,恐らく,「JAPAN」(ジャパン)からとったものであろう。)
そして,その真ん中の三文字「Y(ヨード)」「H(ヘー)」「W(ワーウ)」は,神の御名ヤハウェを表す「テトラグラマトン」(神聖四字)の,最初の三文字“YHW”である。(脚注22へ)
「クティーブ・マレー」という表記方法自体が,母音(I,U,O)の変わりとして(ヨード)や(ワーウ)を用いるので,これは「偶然」,あるいは,「たまたま」そうなってるだけなのかもしれないが,私は,このことを1998年に最初に教えてもらった時,たいへん感動したものである。
日本(
真ん中(中心)に,(日 )がおられる
という事実に対して,である。
(はじっこではなく,「真ん中に」というところがポイントである。
なお,聖書の詩編84編11節(文語訳聖書)には,「神エホバは日(ひ)なり盾なり」と書いてあることについては,すでに言及した。)
さて,「
その点に関して,ユダヤ人の言語学者,ヨセフ・アイデルバーグ氏は,こう述べている。
「古代日本人がヘブライ文に通じていた,とするわれわれの推察が正しいとするならば,次に来るべき当然の質問は,自らの律法をもっているのになぜ,中国からの表意文字を借りなくてはならなかったのか,ということだ。・・・(中略)
古代ヘブライ人の神聖な律法に対する態度と,日本人が裏面にヘブライ刻字のある金の鏡に対する同じような態度(三種の神器は公開されていない)は,われわれの質問に対する返答の一部分をなすものであろう。
おそらく日本人が文盲 と思われていたその時代,神道の祭司たちはヘブライ文の存在を知っていて,神の宝として守っていたのであろう。しかし,仏教が日本に定着を始めたその理由の一つが漢字にあったことに気づいて,彼らは隠し場所からヘブライ文体を取り出し,宗教外の使用に用いることに決めたと考えられる。」
(ヨセフ・アイデルバーグ著「大和民族はユダヤ人だった―出エジプトから日本への道」たま出版,1984年。143,144ページ。)
このように,もしかしたら,古代日本人は,ヘブライ語に「通じて」いたのかもしれない。
そして,その,ヘブライ語によく「通じて」いた人たちが,「隠し場所からヘブライ文体を取り出し,宗教外の使用に用いることに決めた」,つまり,「カタカナ」と「ひらがな」という日本独特の文字を作り出すために「ヘブライ文字を使った」と推察できるのである。
実際,日本語の「仮名」と「ヘブライ文字」は,非常によく似ている。
(詳しくは,「日本語の「仮名」と「ヘブライ文字」の不思議な関係」という記事を参照。)
さらに,川守田博士は,「
「ヤダの鏡・・・(中略)
「カガミ」は本来「影見 」の転に相違ない。「カガミ」は更に「神々 」に響くから,いち早く鏡を神霊 の御霊代 に用いたことである。さて「ヤダー」は聖語にて二つの単語を提供する。一つの「ヤダー」()はユダヤ国名の語根で「投げ出す,歌い出す,賞讃する,祭る,信仰告白する,感謝感恩 の念を表白する」等々の意味であり,今一つの「ヤダー」()は「知覚する,認識する」の義がある。」
「八咫鏡 ・・・(中略)
聖語でヤダーに当る語は二つある。一つは「ヤダー」 () “to know, perceive, acquaint.”「知れ」「偲 べ」「親しめ」=「この鏡を見ることわれを見る如くせよ」に該当する。今一つは,前出「出で」()の別訳“give thanks, praise”感謝感恩 ,頌栄讃美の意味の「ヤダー」だ。この語がユダヤ国名「ヤーウダ」の語源で,これが日本全国にある「ヤワダ」(八幡)郷であ(る)」
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(原著は,昭和31年12月)。408,409,98ページ。)
(「八幡」とヘブライ語「イェフーダー」の関係については,「日本に来た最初のキリスト教徒」という記事を,
「ユダヤ」国名(ヘブライ語「イェフーダー」)の意味に関しては,「私は,ラケルよりレアが好き」という記事の,レアが4人目の男の子に付けた名前「ユダ」(ヘブライ語「イェフーダー」)の意味を参照。)
それで,古代日本人は,「
こうした一連の推理が,それほど間違ってるとは言えないかもしれない,さらに別の証拠が,実はまだ他にも存在する。
それは,この記事では,ほとんど論じられていない,「
その一つに,「
勾玉 |
この形,ヘブライ語の文字のどれかと,非常によく似ていないだろうか。
そう。それは,(テトラグラマトン。神聖四字)の最初の文字(ヨード)と“そっくり”である。
すなわち,神の御名“YHWH”(ヤハウェ)の“Y”(ヤ)である。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。151,152ページ。 ヨセフ・アイデルバーグ著「大和民族はユダヤ人だった―出エジプトから日本への道」たま出版,1984年。128-129ページの間にある「勾玉」の写真,および,225ページ。 久保有政+ケン・ジョセフ著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史〈2〉―仏教・景教篇」徳間書店,2000年。291ページ。)
こうした事柄を考慮する時,「古代日本人」はを信じていた可能性 がある,と考えられる。
しかし,だんだんと時間を経るにしたがって,日本人は,しだいに「多神教」(「
実際,神道研究家の中には,日本神道の本来の姿(もともとの姿)は「
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(原著は,昭和31年12月)。424-427ページ。 久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。34-46,85ページ参照。)
もしそうなら,かつては「ヤマト」(「エホバ樹立し給えり」)と呼ばれ,今では「日本」(「真ん中にヤハウェがおられる」)と呼ばれている国に住んでいる人たちは,その「本来の姿」に戻って,
「日本建国の神」
に“立ち帰る”べきなのではないだろうか。(歴代第二7:14; 詩編22:27; 使徒17:30)
よく,「聖書の神」を信じるクリスチャンに対して,
「日本人なら,外国の 神なんか信じないで,仏教を信じなさい」
などと言う人がいるが,本当は逆(反対)なのだ。
日本人なら,日本建国の神であり,また,古代日本人が,つまり,
私たちの「先祖」が信じた神
を拝すべきなのだ。(脚注24へ)
1943年(昭和18年)に,故・
日本で生まれ,遠くアメリカのサンフランシスコの地で
「
大和 民族よ,エホバに立ち帰れ」
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(原著は,昭和31年12月)。389ページ。)
と。
そう。
「
すべての者たちよ。
に立ち帰れ!!
(「宇宙戦艦ヤマト」のGIFアニメは, 「HP・メール素材 カツのGIFアニメ」というサイトからいただいてきたものである。
管理人の「カツ」さんに感謝。(゜゜)(。 。 )ペコッ)
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脚注1:
原文は,以下のとおり。
「于時、天祖天照大神・高皇産靈尊、乃相語曰、「夫、葦原瑞穂國者、吾子孫可王之地。皇孫就而治焉。寶祚之隆、當與天壤无窮矣。」即、以八咫鏡及薙草劔二種神寶、授賜皇孫、永爲天璽。【所謂神璽劔・鏡是也。】」
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kogo1.html )
脚注2:
ネット上で読める「古事記」では,「八尺鏡(やあたのかがみ)」
「八咫之鏡」として出てくる。
http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/wakan/kojikix1.html
また,「日本書紀」では,「八咫鏡(やたのかがみ)」として出てくる。
さらに,以下のサイトの「アニメ・お伊勢さん(音声入り)」は,おすすめ。
その「天照大御神さまのお話」では,アニメで分かりやすく説明してくれてる。↓
http://www.isejingu.or.jp/shosai/ )
なお,広辞苑は,「八咫鏡」(やた‐の‐かがみ)に関して,こう説明する。
「(巨大な鏡の意) 三種の神器の一。記紀神話で天照大神が天の岩戸に隠れた時,石凝姥命イシコリドメノミコトが作ったという鏡。天照大神が瓊瓊杵尊ニニギノミコトに授けたといわれる。伊勢神宮の内宮に天照大神の御魂代として奉斎され,その模造の神鏡は宮中の賢所カシコドコロに奉安される。まふつのかがみ。やたかがみ。神代紀上「中つ枝には―を懸トリカけ」
(「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年。)
脚注3:
正確には,「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)という言い方ではなく,「三種の宝物」(みくさのたから)という言い方をしている。
その部分の「原文」は,以下のとおり。
「故天照大神乃賜天津彥彥火瓊瓊杵尊,八阪瓊曲玉及八咫鏡、草薙劍,三種寶物」
なお,てんそん‐こうりん【天孫降臨】とは,
「天照大神の孫の瓊瓊杵尊が大神の命を受けて,葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるために,高天原(たかまのはら)から筑紫の日向(ひゅうが)の高千穂峰(たかちほのみね)に降りて来たこと。」
(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) © Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)©小学館 1988)
戻る
脚注4:
『日本書紀』によれば,天照大神が「八咫鏡」を天忍穂耳尊(あまのおしほみみ‐の‐みこと。瓊瓊杵尊の父神)に授けた時に言われた言葉は,以下のとおり。
「このときに,天照大神は手に宝鏡を持って,天忍穂耳尊に授けて,祝っていわれるのに,「わが子がこの宝鏡を見るのに,丁度私を見るようにするべきである。共に床を同じくし,部屋をひとつにして,つつしみ祭る鏡とせよ」と。」
(宇治谷 孟「日本書紀〈上〉 全現代語訳 (講談社学術文庫)」講談社,1988年。67ページ。)
この点に関する岩波文庫の「日本書紀」の解説文は,以下のとおり。
「第一の一書が三種神宝(鏡・玉・剣)を説くに反しここは鏡だけを説く。そして鏡が宮中に奉祀してあり,それが日神の象徴と考えられていたことの起源を説いている。」
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注「日本書紀〈1〉 (岩波文庫)」岩波書店,1994年。143ページ。)
この「同床共殿」(「共に床を同じくし,部屋をひとつにして」)という天照大神の「神勅」(しん‐ちょく)に基づいて,「天孫降臨」以来,崇神天皇(すじん‐てんのう)に至るまで,「八咫鏡」(の本物)は,天照大神の御神体(御魂代)として,天皇が住まわれる宮中に奉斎し,天皇は天照大神とまったく一体となり,天皇は天照大神と「共床共殿」で,万機を見そなわせられたのだ,という。
つまり,昔の宮中には,現在のように「八咫鏡」のレプリカ(複製)が置いてあったのではなく,「本物」のほうが置いてあったらしいのである。
しかし, 『日本書紀』の伝えるところによれば,崇神天皇(すじん‐てんのう)は,天照大神と「同床共殿」では恐れ多いと感じ,天照大神の御神体である「八咫鏡」を,宮中外の別殿(大和の笠縫邑)に遷された,と記されている。
(宇治谷 孟「日本書紀〈上〉 全現代語訳 (講談社学術文庫)」講談社,1988年。122ページ。)
そして,続く『日本書紀』の記述によれば,垂仁天皇(すいにん‐てんのう)の時に,「磯宮」(いそ‐の‐みや)と呼ばれる,天照大神の「祠」(ほこら。神をまつる小さなやしろ)を,伊勢の五十鈴川のほとりに立てた,と記されている。
つまり,この時に,「八咫鏡」を伊勢の地に遷して,伊勢神宮の神体となったことが分かる。
(宇治谷 孟「日本書紀〈上〉 全現代語訳 (講談社学術文庫)」講談社,1988年。143,144ページ。)
この点に関しては,さらに,西暦807年に記された『古語拾遺』(こごしゅうい)には,こう記されいる。
「漸(ようや)く神威を畏みたまひて,殿を同(とも)にしたまふこと安からずおぼしたまふ。故(か)れ更に斎部(いんべ)氏をして,石凝姥神(いしこりどめ‐の‐かみ)の裔(すえ)と,天目一箇神(あまのまひとつ‐の‐かみ)の裔の二氏を率いて,更に鏡(み‐かがみ)を鋳,剣(み‐つるぎ)を造らしめたまひて,護身の御璽(み‐しるし)と為したまひき。是は今践祚(せん‐そ)の日に献る所の神璽(しんじ)の鏡剣なり。仍(か)れ倭(やまと)の笠縫邑(かさぬい‐の‐むら)に就きて磯城神籬(しき‐ひもろぎ)を立てて,天照大神及草薙剣(くさなぎ‐の‐つるぎ)を遷し奉りて,皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめ‐の‐みこと。崇神天皇の皇女)をして斎(いつ)き奉(まつ)らしめたまひき・・・
巻向玉城朝(まきむく‐の‐たまきのみよ。垂仁天皇)におよびて,皇女倭姫命(やまとひめ‐の‐みこと。垂仁天皇の皇女)をして,天照大神を斎(いつ)き奉(まつ)らしめたまひき。仍(か)れ教(おしえ)の随(まにま)に,其の祠(みや)を伊勢国五十鈴川上に立て,因りて斎宮(いつき‐の‐みや)を興(た)てて,倭姫命(やまとひめ‐の‐みこと。垂仁天皇の皇女)をして居(はべ)らしめたまひき」
このように,崇神天皇が「八咫鏡」を別殿に遷すに際し,新たにこれを模して,同型の神鏡を鋳造した(つまり,「八咫鏡」のレプリカを造った)ということが,『古語拾遺』には記されている。それが,今現在,宮中の「賢所」に置いてある「八咫鏡」であるということらしい。
しかし,歴史学者で早稲田大学の教授,津田左右吉(つだ‐そうきち。1873年~1961没)氏によれば,『古語拾遺』に記されているこの説話は,「後人の創作にすぎない」とも言われている。
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注「日本書紀〈1〉 (岩波文庫)」岩波書店,1994年。376,377ページ。)
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脚注5:
日本人の間には,昔から,「八咫鏡を見てはならないという伝承」があったようである。
たとえば,南北時代の歴史書 『保暦間記』には,平家との戦いに勝ち,都に戻って来た源氏の兵士たちが,皇居の「内侍所」(ないし‐どころ。宮中の「賢所」の別名)に入り,そこにあった「唐櫃」(辛櫃)を開けたところ,兵士たちの目や口から血が流れ出て悶絶した,というようなことが記されている。
この記述と,聖書のサムエル第一6:19に記されている「契約の箱」(エホバの箱)を見てしまった人たちに関する記述とを比較してみていただきたい。そうすると,その両者(「契約の箱」と「八咫鏡」)の間には,驚くべき「類似性」があることが分かるであろう。その「類似性」は,どこから来るのだろうか。
他に,民数記4:15,20; 歴代第一13:9,10の記述も参照。
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脚注6:
「八咫鏡」を納めた箱は,「船」の形をしている。それゆえ,その容器は,「御船代」(み‐ふなしろ)と呼ばれている。
(M・トケイヤー著「ユダヤと日本 謎の古代史」産能大学出版部,昭和50年(1975年)。128ページ。 久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。54ページ。)
この点に関して,哲学博士の小谷部全一郎(おやべ ぜんいちろう。1867年-1941年没)は,その著書の中で,次のような興味深い点を指摘している。
「日本に伝はる三種の神器(じんぎ)の一なる神鏡(しんきょう)は,御船代と称する器物に納め,伊勢大神宮に奉安す。延喜式伊勢大神宮造備雑物に録する所に拠るに,此の御船代は長さ七尺三寸,内五尺七寸,広さ二尺五寸,内二尺,高さ二尺一寸,内深一尺四寸とあり。容器に御船代,即ち船といふ名称を附するは古き由緒ある事と思ふ。
上古(じょうこ)希伯来(ヘブライ)の神殿に於(おい)て,神器(じんぎ)を納めたる櫃(ひつ)をアーク即(すなわ)ち船と称したり。・・・出埃及(出エジプト)記三十七章に神宝を納むる櫃(ひつ)を作る條を記して曰く「ベサレルは合歓木(ねむのき)をもて櫃(ひつ)を作れり,其(そ)の長さ二キュビト半,其(そ)の巾(はば)一キュビト半,其(そ)の高さ一キュビト半なり」云々。
日本訳の猶太(ユダヤ)経典,即(すなわ)ち旧約書にはアークを櫃(ひつ)と訳しあるも,原書には船とあり,而(しか)して英訳の聖書にも之(これ)を Ark 即(すなわ)ち方舟(はこぶね)と書せり。
・・・而(しか)して神宝を納るる器を称するは舟の義なるを知るべし。我国の神器(じんぎ)を納めたる器を御船代と云(い)ふこと偶然と謂(い)ふべからず,・・・。
希伯来(ヘブライ)人が神宝を納めたるアーク即ち方舟(はこぶね)は,一キュビトを日本の曲尺(かねじゃく)八寸として其(そ)の長さ四尺五寸,巾(はば)二尺六寸,高さ二尺六寸なり,之(これ)を我が伊勢大神宮に奉安する御船代に比するに,其(そ)の名称の意義及(およ)び寸尺(すんしゃく)に於(おい)て略(ほ)ぼ相等(あいひと)しきものは真(まこと)に驚嘆に値ひす。」
(小谷部全一郎著「日本及日本國民之起原」厚生閣,昭和4年(1929年)(平成11年6月,八幡書店より復刻)。257,258ページ。)
ちなみに,あの,スティーブン・スピルバーグ監督とジョージ・ルーカス監督が共同制作した冒険アドベンチャー映画「インディ・ジョーンズ」の第一作目の名前は,「レイダース 失われた聖櫃(アーク)」と言った。ここで言う「アーク」(英語,“ark”)とは,もちろん,聖書の中に出てくる「契約の箱」を指している。
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脚注7:
「御樋代」(みひしろ)の寸法に関しては,古書の間で記録が異なっており,必ずしも一致していない。
たとえば, 『延喜式伊勢大神宮造備雑物』によれば,「御樋代」の寸法は,
「高さ二尺一寸。深さ一尺四寸。内径一尺六寸三分。外径二尺」
とある。
また,『文永樋代(ひしろ)』(文永三年内宮遷宮沙汰文)によれば,
「高一尺七寸八分。口径一尺。蓋口径九寸樋代の内には黄金の樋代あり」
とある。
ちなみに,上記の寸法を表すために用いられている「尺」(しゃく)とは,約30.3センチ。
「寸」(すん)は,約3.03センチ。
「分」(ぶ)は,約0.3センチを,それぞれ表す。
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脚注8:
「八咫鏡」の「咫」(あた)とは,「手のひらの下端から中指の先端」までの長さ,あるいは,「親指と中指を開いた」時の長さを表し,約18センチを意味する。それゆえ,「八咫」(やあた)とは,「八」倍の「咫」(18センチ × 8),つまり,「144センチ」(約1.4メートル)の長さを表す。
ここから転じて,「非常に長いこと」「大きいこと」を意味する。この意味で,同じく「記紀」の神武天皇に関する記述の部分には,「八咫烏」(やたがらす)と呼ばれる大きな烏も出てくる。
講談社学術文庫より発行されている「古事記」(上) 全訳注」の注には,「八尺鏡」(やあたのかがみ)の意味が,次のように説明してある。
「「尺」は「咫」(あた)の略字。大きな鏡のこと。直径四六・五センチの巨大な鏡が,平原古墳(福岡県)から出土している。」
(次田真幸「古事記 (上) 全訳注 講談社学術文庫 207」講談社,1977年。93ページ。)
脚注9:
「八咫鏡」は,おそらく,「円形銅鏡」であろう,と推定されてはいる。
また,「八角八方の鏡」「長方形の金属の古鏡」と言う人もいる。
中には,木村鷹太郎のように,その「容器」の形状(「丈が高い」こと)から判断して,中にあるのは,「鏡」ではなく,「聖杯」ではないか。なぜなら,祝事の時,酒樽のふたを開くことを,「鏡を割る」とか「鏡抜き」 と言うから,などと非常に面白いことを言う人もいる。
しかし,そのいずれも,ただの「推測」(憶測)にすぎない。
なぜなら,古書には,その「形態」に関する記録は一切ないからである。
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脚注10:
このヘブライ語は,「右から左へ」読む。ローマ字と日本語への翻字は,「左から右に」読む。
このヘブライ語は,
“'Eheyeh 'Asher 'Eheyeh”「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」
と読むこともできるようである。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。285ページ。)
なお,森氏が見たものには,おそらく,上記のような「母音符号」は付いていなかったものと推定される。
なぜなら,ヘブライ語の「母音符号」(小点や横線から成る記号体系)は,朗読と母音の発音の助けとして,西暦5世紀から10世紀にかけて,「マソラ学者」と呼ばれる聖書の熟練した筆写者によって考案されたものだからである。それ以前のヘブライ語には「母音符号」はなく,発音は口伝によって後世に伝えられた。
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脚注11:
「文語訳聖書」は,森 有礼大臣が,暗殺されて亡くなる一年前の「明治21年」(1888年)に発行された。
森 有礼大臣が伊勢神宮の「八咫鏡」の裏面に見たというヘブライ文字の,日本語(文語)での意味は,「赤い文字」で示した箇所
「我は有(あ)りて在(あ)る者なり」
である。
「新改訳聖書」(旧約聖書は,1970年発行)による,口語体での翻訳では,この同じヘブライ語は,
「わたしは,『わたしはある。』という者である」
と訳されている。
この点に関して, 「新聖書注解」は,出エジプト記3章14節の注解部分で,次のように述べている。
「モーセの質問に対する答として,神は御自身の名(本性)を明らかにされる。
〈わたしは,「わたしはある。」という者である〉。協会訳「わたしは,有って有る者」。ヘ語 エヘイェ・アシェル・エヘイェ。協会訳の方がヘブル語をそのまま訳しているが,完全な訳は困難である。J・P・ハイアットはそれを “I am He who is”と訳す。
〈ある〉と訳されている動詞の形は,ヘ語 ハーヤー(存在する)の未完了態一人称単数である。古代ヘブル語には定まった時制はなく,未完了態はある事柄の継続した状態を表す。その状態は過去,現在,未来のいずれかにも用いることができる。それ故ここでは,「わたしは存在していた」「わたしは存在している」「わたしは存在を続けるであろう」のどの意味にもなる。神の自存性,独一性,永遠性を表すのに,これほど適切なことばはないであろう(しかし実際には,後述するように,もっと積極的な意味がある)。
神の御名を表す聖四文字 YHWH(ヤハウェ)は恐らくこのヘ語 エヘイェ(子音は 'HYH)に由来するものであるというのが,今日の多くの学者の見解である(カスート,M・ノート,A・コール等)。一人称を表す最初の文字アーレフ(')が,三人称を表すヨード(Y)になり,三番目のヨード(Y)は最初のヨード(Y)の影響を受けてワーウ(W)に変化したと考えられる(M・ノート『出エジプト記』四三頁)。それ故,ヤハウェとは「彼はある」を意味する。事実,15節のヤハウェ(新改訳「主」)は,このような意味で用いられている。・・・(中略)
オルブライトはこれをヘ語 ハーヤーの使役語幹と解して,「彼は存在するに至らせる」と訳し,創造者を意味するという。」
(「新聖書注解〈旧約 1〉創世記→申命記 (1980年)」いのちのことば社,1976年。296ページ。)
ちなみに,「エフエ ・アシェル・エフエ」の「アシェル」(ストロングナンバーは,「00834」)とは,ヘブライ語の「関係代名詞」である。
(「参照資料付き聖書-新世界訳」(ものみの塔聖書冊子協会,1985年)の出エジプト記12:40脚注。)
また,「エフエ」に関しては,「参照資料付き聖書」のゼカリヤ2:5; エステル7:5脚注の「折り句(アクロスティック)」に関する説明を,
「エフエ ・アシェル・エフエ」に関しては,出エジプト記3:14脚注を参照。
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脚注12:
ヘブライ語辞典をお持ちの方は,「ハーヤー」に関しては,
名尾耕作編著「旧約聖書ヘブル語大辞典 (1982年)」聖文舎,1982年(2003年に教文館より「改訂第3版」が発行された)。325,326ページ。
および,「The Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon」(BDB)の224-228ページを参照。
また,ヘブライ語「ヤハウェ」(YHWH)に関しては,
名尾耕作編著「旧約聖書ヘブル語大辞典 (1982年)」聖文舎,1982年(2003年に教文館より「改訂第3版」が発行された)。536,537ページ。
および,「The Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon」(BDB)の217-219ページを参照。
「ヤハウェ(エホバ。YHWH)」という神のお名前は,「なる」(to become)という意味のヘブライ語動詞「ハーワー(HWH)」(ストロングナンバーは,「01933」)の変化形(使役形・未完了態)と同じ形をしている。従って,神の御名には,「彼はならせる」(He Causes to Become)という意味があるとエホバの証人は説明する。
(「参照資料付き-新世界訳聖書」(ものみの塔聖書冊子協会,1985年)の出エジプト記3:14; 創世記2:4脚注,および,「付録1イ」参照。)
もちろん,それは正しい説明なのであるが,しかし,出エジプト記3章14,15節に記されている内容(文脈,話の流れ)から判断して,「ハーワー」よりも,むしろ,そこで用いられている「エフエ」の語根であるヘブライ語動詞「ハーヤー」(「ある」「いる」「なる」の意。ストロングナンバーは,「01961」)に由来すると考えるのが「自然」なように思われる。
「実用聖書注解」(いのちのことば社,1995年)は,その出エジプト記3章の注解部分で,次のように述べている。
「14節まででエフイェの形で神の名が示された後で,15節において神名ヤハウェが啓示される.〈あなたがたの父祖の神,アブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神,主〉.「主」は神聖四文字(YHWH)で示される.これは〈ヘ〉エフイェの語根HYHから来ていると思われる.」
「ヤハウェ(エホバ。YHWH)」という神の御名は,「ハーヤー(HYH)」(「ある」「いる」「なる」の意)の,細かく言うと,「未完了態・ヒフイール形(使役形・能動態)・三人称・単数・男性形」の変化形と同じ形をしている。
つまり,どういうことかと言うと,「ハーヤー(HYH)」というヘブライ語動詞を「神の側から」表現すると,出エジプト記3章14節にあるように,一人称単数の「エフエ('HYH)」(「わたしはある」「わたしはなる」の意)となり,私たち「人間の側から」表現すると,三人称単数使役形の「ヤハウェ(YHWH)」(「彼はあらしめる」「彼はならせる」の意)という御名になるのである。
様々な資料では,出エジプト記3章14節に出てくる一人称単数の「エフエ」(原形は,「ハーヤー」)という言葉と,神の御名(YHWH)との関係を,次のように説明している。
「モーセという英雄が起ってイスラエルの民を先導せんとしたが,身辺に危険が迫り,四〇年間,シナイ半島へ亡命していた。もゆる茨の中にエホバの神現われて『われは,ありて,あるものなり』又は『われは,あらんとして,あらしむるものなり』と名乗り,『汝行きてイスラエルの民を埃及より導き出せ』との大命を降した。このエホバの名乗らせ給うに一人称を三人称にして「彼は在りてあるものなり」「彼あらんとして在らしむるものなり」と解釈し,宇宙と人生に神意を開展して行くのが「ヤーエー」(YHWH)即ちエホバである。」
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年。434ページ。)
「ヤベの意味は,動詞の形では,「彼は存在する」となるが,神がご自分のことについていわれるのであるから,「私は存在する」「私は居る」となる。」
(バルバロ訳の脱出の書3:14,15脚注。フェデリコ・バルバロ「聖書―旧約・新約」講談社,昭和55年(1980年)。108ページ。)
「ヤハウェという神名は,この「われ有り」(エフエ)の三人称の形「彼有り」あるいは「彼は有らしめる」の意とする説が有力である。」
(中沢洽樹訳の出エジプト記3:14脚注。「世界の名著〈第12〉聖書」中央公論社,昭和43年(1968年)。163ページ。)
脚注13:
つまり,この話は,左近義弼(さこん よしすけ)博士→中田重治(なかだ じゅうじ)→中田(なかだ)夫人→生田目俊造(いくため しゅんぞう)牧師へと伝わったわけである。
さらに,「きよめ教会」牧師で,後述の「日猶懇話会」常任理事であった,宮原 忠牧師も,この話を直接,中田重治(なかだ じゅうじ)氏より聞いたと述べている。
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脚注14:
この本の中で,オリエント学会の会員である「大阪のH氏」は,三笠宮殿下から直接,「八咫鏡の噂は本当である」と聞いた,と言っているが,日本ユダヤ教団のラビであった,マーヴィン・トケイヤー氏によると,三笠宮殿下は,次のように言われたという。
「初め私が三笠宮に会ったとき,伊勢の大神宮に保存されているという八咫鏡のうしろに,ヘブライ語の文字が書かれているといううわさは本当かどうかということを尋ねてみた。・・・(中略)
三笠宮がそのとき答えたのは,彼自身それを報道した新聞記事の内容をよく知っているということであった。しかし,伊勢の大神宮に現在保存されている三種の神器については,非常に厚い秘密の壁に取り囲まれており,非常に神聖なものであり,非常に神秘的なものであり,三笠宮自身その八咫鏡を見たことはないということであった。
また,三笠宮が自分の目で八咫鏡を見ることも許されていないということであった。彼の兄である天皇陛下も,また八咫鏡を実際に見たことはないということであった。現在生きているだれもが,八咫鏡を見ることは不可能なのであるということであった。だから,現在生存している人間であれば,その鏡のうしろに三つのヘブライ語が書かれているということを確認できるはずはないということであった。
三笠宮は彼自身その報道について非常に疑いを抱いているということであった。しかしこの問題は,通常の会話の内容にすべきではないということであった。この三種の神器に関するすべてのことは,日本民族の厚いタブーによって囲まれている。だから宮廷においても,皇族のだれもがそのことについては話し合うことはないという答えであったのである。
伊勢の大神宮の鏡は覆い掛けられて箱の中に納められている。だから,この箱はだれもあけることができないのである。
伊勢の大神宮の遷宮式のとき,それを運ぷ人はうしろ向きになって,その箱を持つということであった。そしてその八咫鏡を納めた箱は船の形をしている “御船代” であるということであった。つまりその神器は,船によって遠くから運ばれてきたということを意味しているのかも知れない。」
(M・トケイヤー著「ユダヤと日本 謎の古代史」産能大学出版部,昭和50年(1975年)。126-128ページ。)
脚注15:
矢野祐太郎氏が「細心の注意を払って」書き写したという図(絵)に関しては,これは「写真」ではないので,果たして彼がどこまで正確に書き写せたのかが問題となる。「八咫鏡」は非常に古いものなので,若干の傷みや,しみ等もあると思われ,もとの模様(文字)を読みとるのが大変難しい部分もあったに違いない。
しかし,その前に,そもそも矢野氏は,本当に「八咫鏡」を見たのか。それは,事実,本物の「八咫鏡」だったのか,という疑問が残る。
さて,この写しは,矢野氏が組織し,彼の長女が運営する「神政龍神会」という団体に保管され,しばらくは「トップシークレット」として,一切外部には出されていなかった。しかし,やがてこの会の内部で,この写しを世に出すため,三笠宮殿下に渡すようにとの「神示」が下ったのだという。三笠宮殿下に,この写しを渡す役をした高坂和導氏は,その経緯について,その著書の中で次のように述べている。
「この写しを,三笠宮様に渡すようにとの神示が下った。渡すようにと言われても,ものがものであるし,どうにかして確実に宮様ご本人に手渡しする方法を捜していたところ,ちょうど同じ竹内文書の研究に携わる私が,宮様とご面識があることを知ったという。白羽の矢の立てられた私は,お引き受けするとともに,この写しを手にするという幸運に恵まれた」
(高坂和導著「超図解 竹内文書〈2〉天翔ける世界天皇(スメラミコト) 甦るミロク維新とは何か」徳間書店。118ページ。)
そして,元・皇宮警察署署長であり,元・関東警察学校校長の仲山順一氏の取り計らいで,高坂氏は,「神示」で示されたという昭和55年1月8日に,三笠宮殿下に,この写しを無事渡すことができたのだという。そして,高坂氏は,この「八咫鏡」の写しを三笠宮殿下に渡すだけでなく,思い切って一般の人々にも日本の真実を知らせようと決心し,上記の著書の中でそれを「公開」している。それは,ラビ・M・トケイヤー氏の著書に印刷されているものと,全く同じものである。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。287,288ページ。 久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。105ページ。「レムナント」誌(レムナント出版発行)1997年10月号 No.99。39-41ページ。)
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脚注16:
矢野氏によれば,「八咫鏡」の裏面に刻んである「ヒフ文字」は,いずれも「右から左に」読み,その解読は次の通り。
上段の12文字は,「アマヒカミキオラカカミニ」
下段の18文字は,「タマツルキヒトリスミラヨカ ケルモナク」
円中の7文字は,「ワレオナルカシ」
これを現代文に漢字を交えて書き改めると,
「天日神(あまひかみ)清(きよ)ら鏡に
玉剣(たまつるぎ),独(ひと)り皇(すめら)よかけるもなく
吾(われ)をなるかし」
その意味は,
(上段)「天照大神が世にも清らかな宝であります鏡と」
(下段)「玉と剣という三種の神器をお与えになった。天皇はただひとりと定める」
(円中)「(この鏡を見るときは)われ吾(天照大神)を見るごとくせよ」
(久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。106,107ページ。 「レムナント」誌1997年10月号 No.99。40ページ。レムナント出版発行。)
脚注17:
その部分の「原文」は,以下のとおり。
「其後,天照大御神復以八尺瓊勾玉,八咫之鏡,天叢雲劍賜於邇邇藝命.又遣思金神,手力男神,天石門別神轉諭邇邇藝命曰:「邇邇藝命者,此鏡者同我御魂.欲祭此者,當如拜吾前,尊崇而祭之.次,思金神者,取持前事,輔其為政.」
脚注18:
神道におけるこの「鏡」は,「依代」(よりしろ)と呼ばれるもので,そこが「神の降臨する聖なる場所である」ことを示すために置かれるのであって,鏡そのものを「偶像」として拝んでいるのではない。
それは,ちょうど,古代イスラエルの幕屋の「至聖所」に,「契約の箱」がおいてあっても,その「契約の箱」をユダヤ人たちは拝んでいたのではないのと同じである。
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脚注19:
これは,つまり,「この神社には,どなたさま(神様)がお祀りされてるのかは知らないけれども,私はただ,ここにいるだけで有り難く感じ,思わず涙がこぼれてきてしまう」と歌ったわけである。
しかし,西行法師ほどの人が,そこに祀られているのが「天照大神(あまてらす おおみかみ)」であることを「知らなかった」とは思えない。
だから,彼は,「天照大神という名によって表されている何か(本当の実体)」,あるいは,「それ以上の何か」が,そこに「在(おわ)す」(「臨在」,Presence of God)ことを感じて,そう歌ったのであろう。
また,彼は,その涙の「理由」を深くは語らない。ただ,「かたじけなさに」と表現しているだけである。
私が思うに,今,私なりの表現で言えば,彼はその時,神の「無限の愛」や慈しみ,また,神から自分や周りの世界に注がれている,あらゆる「過分の恵み」や恩恵などを感じたのであろうと思う。だからこそ,理性を越えた理由で,思わず「涙」が出てきてしまったのである。
この西行法師が「感じた」であろうことを,言葉で細かく表現しようとすると,ちゃちになる。
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脚注20:
実は,秦氏(はたし)が,「伊勢神宮の創建」にも深く関与していたことが知られている。
その証拠については,
久保有政+ケン・ジョセフ著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史〈2〉―仏教・景教篇」徳間書店,2000年。146-149ページ。
および,久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。103,59ページを参照。
なお,佐伯好郎博士は,秦氏に関して,こう述べている。
「この秦民族は Ya-ha-ta と云ふのである。猶太(ユダヤ)民族の一番立派のものである。」
(「佐伯好郎遺稿並伝〈下〉伝記・佐伯好郎」大空社,1996年。1739ページ。原著は,佐伯好郎伝記刊行会,昭和45年。 「政治・経済セミナー」第85号,昭和38年(1963年)8月1日発行。
「人種問題よもやまばなし(2)」という,当時,92歳になっていた佐伯好郎博士が書いた記事より抜粋。)
脚注21:
ヘブライ語の綴(つづ)り方には,二つの方式がある。
一つは,聖書のマソラ本文などに見られるような,「ニクダー」と呼ばれる母音符号を付けて書く
そして,もう一つは,「ニクダー」を付けずに,「ワーウ」(W)や「ヨード」(Y)などの子音字を補充して書くやり方で,「クティーブ・マレー」という。
こちらが,今日のイスラエルで,ユダヤ人たちが,普段の生活で用いている表記法である。
「クティーブ・ハセル」(文法的表記法)は,今日のイスラエルでは,聖書,祈祷書,詩集,低学年用教科書,子供向けの本などにのみ用いられている。
一方,「クティーブ・マレー」は,日常生活で接する文書,手紙,書類,新聞,雑誌,文学書などに用いられている。
つまり,普段の生活では,この表記法を用いるわけである。
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脚注22:
この“三文字”(YHW)は,人名や地名に,よく使われる。
たとえば,キリスト教の創始者である「イエス」(ギリシャ語「イエースース」)の,ヘブライ語での言い方は「イェーシューア」(エーシューア)であるが,その正式な名称は,「イェホーシューア」(エホーシュア)と言う。
この中の最初の「イェホー」(YHW)という部分に,ヘブライ文字の「ヨード」「ヘー」「ワーウ」が用いられている。
よって,イエスという名には,「ヤハウェは救い」という意味がある。
また,この“三文字”(YHW)が人名の“後ろ”に付く場合は,「ヤーフー」とか「エフー」などと発音される。
たとえば,「イザヤ」(ヘブライ語「エシャエヤーフー」。「ヤハウェの救い」の意)や,
「ミカヤ」(ヘブライ語「ミーカーエフー」。「だれかヤハウェのようであろうか」の意)などがある。
(「参照資料付き聖書-新世界訳」(ものみの塔聖書冊子協会,1985年)の出エジプト記17:9; 申命記31:3; ヨシュア1:1のそれぞれの脚注;
および,イザヤ1:1脚注; 「ミカ書」の書名の脚注参照。))
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脚注23:
「八百万(やおよろず)の神」について,川守田英二博士は,ヘブライ語の意味から,次のように解説している。
「「よろづ」(万)はヘブル語の「ヨラド」(YLD) begat 「子孫を生む」を思わしめ,神はアブラハムに向って「汝の子孫は空の星の如く浜の真砂の如く多からん」といった祝福を思わしめる。従って「八百万の神々」を,私は「日本ヘブル語」と見る。ヘブル語「ヲミ」(‛MY)“my people”(わが民)は,接頭は硬抑制気音だから「カミ」と発生せられる。「八百」(ヤオ)はエホバの御神名の一つ(YHW)に解せられる。「ヨラド」は「産む」である。
故に「八百万の神」はその実(じつ)「エホバ(真神)の産み給いし,わが民(人間)の義で(ある)」
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(原著は,昭和31年12月)。314,315ページ。)
「日本の「カミ」は人間であって基督教のいう天地創造の神ではなく,もともとその唯一神エホバに奉仕した神職・・・それから曳(ひ)いてエホバの建てし神の国に貢献した偉人功臣(こうしん)を祭ったもので,エホバそのものではない。エホバの聖名によって聖別(マツらる)せられ祝(祭,祠,賀,嘉,忘,斎)われた人間の隠り身即ち霊体である。人間は神によって創造せられた霊体である。」
(川守田英二著「日本ヘブル詩歌の研究(下巻)」八幡書店,昭和62年(原著は,昭和31年12月)。103ページ。)
「先祖」をなぜ「神」と呼ぶのかについては,
久保有政著「日本の中のユダヤ文化―聖書に隠された神道のルーツと極東イスラエルの真相」学習研究社,2003年。74-77ページを参照。
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脚注24:
「日本に来た最初のキリスト教徒」という記事も参照。
早稲田大学名誉教授であり,景教の「世界的権威」である佐伯好郎博士が最晩年に述べていることであるが,日本におけるキリスト教の歴史は,たかだか400年程度ではなく,記録に残ってる「文献」によれば,1800年(西暦二世紀-)である。
なお,これは,「史書」に基づく年代で,単なる「憶測」や「推測」で述べてる事柄ではない。
これは,仏教が六世紀に,日本に入ってくる以前の話である。
次の聖句(聖書の言葉)は,日本人がクリスチャンに対して言う言葉ではなく,
むしろ,「クリスチャンが今日の日本人に対して」言うべき言葉である。
「あなたのうちに他の神があってはならない。
あなたは外国の神を拝んではならない。」
-詩編81:9。[口語訳聖書]
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