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あなたの信仰と希望を生きたものに保ちなさい by ダニエル・シドリック (ものみの塔聖書冊子協会[エホバの証人]の統治体の成員が,特別集会で語った講演内容)
Keep your Faith and Hope Alive

- 1990年11月11日(日曜日)に話された,
エホバの証人の「統治体」の成員ダニエル・シドリックによる話
希望と信仰が病気を克服するのに役立つことを例示する数々の経験談 -






これは,1990年11月11日(日曜日),エホバの証人の「特別集会」で話された,統治体の成員,故・ダニエル・シドリックの講演である。
(「目ざめよ!」誌1991年2月8日号14ページ参照。)

これは信仰治療に関する話ではありません」という,たいへん印象深い言葉で始まるこの話は,私,possibleが,現役のエホバの証人だった頃,一番「印象」に残り,また,一番「素晴らしい」と思った話である。私は,エホバの証人であった頃,これに類する話を,大会でも集会でも聞いたことはない。このことを,以前,うちの掲示板において話したところ,ある方が,ご親切にもこの話を録音したCD-ROMを送ってくださったのである。ここに示したものは,そのCD-ROMから,possibleが「文字起こし」したものである。
この中で,( )「丸カッコ」で示した部分は,よく聞き取れず,possibleが「推測によって挿入」した言葉である。また,---で示した部分は,まったく聞き取れない上,「推測も困難」なところである。文章がやや「ぎこちない」のは,織田正太郎氏が通訳したものを「そのまま」載せ,校正はほとんどしてないからである。これにより,織田正太郎氏のことを覚えておられる方は,彼の「声」や「話し方」まで思い出せると思う。実際の話では,もちろん,織田氏が「通訳」をしながら,ダニエル・シドリックが英語で話してるのであり,本来は,それぞれの日本語の文章の間には,英語(ダニエル・シドリック)が入る。

この音声ファイル(MP3)を実際に聴いてみたい,ダウンロードしたいと思われる方は,管理者(possible)までご連絡下さい。)




「あなたの信仰と希望を生きたものに保ちなさい」



講演者: ダニエル・シドリック(統治体の成員。1919年2月生-2006年4月19日没。享年87歳)
通訳: 織田正太郎(日本支部調整者。2004年4月8日没。享年70歳)
聴衆の数: 22万4,086人(電話回線を結んで,全国57か所)

本会場: 幕張メッセ




今日,午後,ここでお話しする話は,少し性質,性格を(こと)にするお話です。これは,「信仰治療に関する話ではありませんが,私たちの信仰と希望を生きたものに保つということです。

生きていて最も素晴らしいことの一つは,それは,素晴らしい神エホバについて知ることです。エホバは,生きた神,全能の神であられます。すべてのことはエホバにとって可能なのです。エホバこそ,全地でただ一人,生きた真実の神であられます。

しかし,残念なことに,地上に住んでいる何十億という人々が,その神エホバを信じておられ(ず),希望を置いていないのです。そして,残念なことでありますが,それらの民のほとんどは,非常に冷淡であって,冷笑的であり,そして,落胆している,そういう人です。いわば「病んだ」民です。これらの人々は,精神的にも,身体的にも,霊的にも「病んで」いるのです。そして,挫折のゆえに,こういう人々は,犯罪を犯したり,不道徳を犯したりしています。多くの若い人々は,麻薬とか不道徳に陥りまして,これこそ真実の解決を与えるものだと考えますが,しかし,状態はもっと悪くなっています。ですから,世の状態は,非常に悲惨なものとなっております。

この希望のない世の中で信仰を保っていることは,非常に難しい問題であるということを私たちは知っております。神が存在するということを信ずるだけではありません。しかし,私たちは,その方に信仰を「働かせ」なければいけないのです。信ずるということは,神の存在を認めることです。しかし,イエス・キリストは,信仰を「働かせる」ことをおっしゃり,その信仰を働かせるということは,実際それに基づいて行動することを意味しています。そうです。もっとよい生活,つまり,神に対して栄光を(帰)すような,そういう生き方をしなければならないのです。これら二つの霊の実,つまり,私たちの信仰を生き生きと保ち,そして,生き続けるということ,それは大切なことです。

ベタニヤに赴かれる時,イエスは,いちじくの木をご覧になりました。実がついているかどうかご覧になった時に,実がないので,その木を呪われました。次の日,ペテロはその木を見て,その木がしぼんで枯れているのを見て,たいへん驚きました。しかし,イエスは彼に対して,「からしの種粒ほどの信仰があるならばできないことはないのだ。この山に,ここから向こうに移れと言っても,それは移るのだ」とおっしゃいました。
しかし,今日,私たちは,山を動かすことについて話すのではありません。私たちの心が,そういうものを動かすのです。しかし,私たちの生き方そのものを変える信仰,そういうものが必要なのです。私たちの生きる生き方,それをクリスチャンとしてよく見なければなりません。

ローマ15章13節で,使徒パウロは,こう言っています。

「あなた方が信じることによって,希望を与えてくださる神が,あなた方をあらゆる喜びと平和で満たしてくださり,こうしてあなた方が聖霊の力をもって希望に満ちあふれますように。」
-ローマ15:13

と言っています。
ここでは,「あなた方が聖霊の力をもって希望に満ちあふれますように」ということが述べられています。

ダビデ王は,詩編27編14節で,こう述べています。

「エホバを待ち望め。勇気を出し,あなたの心を強くせよ。そうだ,エホバを待ち望め。」
-詩編27:14

兄弟たちこういう言葉の中には,「命を与える力があるのです。エホバを待ち望んでください。それで,信仰を働かせてください。信仰を実際に表わしてください。私たちは,こういうことをするようにと求められているのです。





1978年の「ものみの塔」の中には,信仰は本当に驚くべき治癒の作用があるのだ,ということが書いてあります。そして,それが私たちになし得ることには限りがない,ということも書いてあります。それがいったい何を意味するか考えたいでしょうか。

1988年11月15日号の「ものみの塔」は,そのことを述べています。最初に述べている事柄は,楽園の地です。神が私たち人類のために備えてくださった神の王国について言及しています。王国の取り決めのもとでは,偏見のようなものは全部なくなってしまうと書いてあります。地の表からは,戦争がなくなってしまうことも言及しています。平和が行き渡るでしょう。今日,地の表では,至る所で食糧不足がありますが,神の王国の支配の下で,そのようなものはないのです。今日,人々は,地上で働いておりますが,その働く仕事を喜んでおりません。楽しんでおりません。ところが,神の王国が到来する時に,人々は,そこでの仕事を本当に喜ぶのです。そして,その次の中では,私たちの注意を啓示21章1-4節に向けて,そこにはもはや再び病がない,ということを教えています。地上では,嘆きも苦痛も,そうしたものがないのだ,ということが言及されています。

兄弟たちこうしたことはただの言葉ではないのです。必ず神がもたらしてくださる約束なのです。これは人々を害する,ガンであるとか,エイズであるとか,心臓病とか,そうしたものがすべてなくなってしまうことを意味しております。それは,神の約束,神のみ言葉の中にある約束であって,神の王国の支配の下で必ず実現するものなのです。私たちは,ただそのみ言葉を読むだけではなくて,それを信じて,それに一致した行動をするようにしなければならないのです。それをただ信ずるだけでなくて,渇望し,心の底からそれを願う,そういう者にならなければいけません。神の言葉は生きているのです。それは,霊感を与えます。そして,このようなみ言葉は,そのような言葉は,私たちに「命を与える」ものなのです。それは私たちをより健康に保つ神のみ言葉なのです。ただ私たちをより健康にするだけでなくて,この事物の体制の終わりの時に,私たちをより幸福にするものなのです。では,こうした事柄を証明する事柄を一緒に考えてみましょう。


ダビデ王は,非常に「病んで」いました。明らかに症状は,たいへんダビデにとって不利に考えられましたが,ダビデは希望を捨てませんでした。ですから,「病気の時に」ダビデは,自分の注意をエホバに向けていました。ですから,ダビデの態度が,詩編41編3節にあります。

「エホバご自身が病の床にある彼を支えてくださいます。 あなたは彼の病気の間そのすべての寝床を必ず替えてくださいます。」
-詩編41:3

いったいこの聖句は,私たちに何を教えてるでしょうか。私たちが「病気」であったり,事柄がうまくいかないような時でも,エホバに対する私たちの希望・信頼を失ってはなりません。状況がどれほどですか,思えても,私たちが,そういうことであきらめてしまうようなことがあってはならないのです。神がそう望まれるなら神は必ず私たちをいやすことがおできになるのだという希望を持たなければなりません。私たちは,信じなければなりません。私たちの神エホバは全能の神であられて,そして,実際にご自分のご意志を成し遂げられています。


三人の子供のいる母親についてお話ししましょう。彼女は最近,重い病気にかかり,そして,医者のところに行きました。そして,帰ってまいりました。彼女は,三人の娘を自分のもとに引き寄せて,こう言いました。「娘たちよ医者が私が重い病気にかかっていると言っていますそれは白血病ですもう一年ちょっとしか生きないということです」。しかし,母親はこう言いました。

でも心配しないでください私は決して死にませんあなた方が大きくなってこの家から出て行くまでは私は死なない

と言ったのです。
医者は,彼女に何の希望も与えませんでした。しかし,エホバは,「普通を越えた力」を彼女にお与えになりました。
しかし,このことを,お聞きになってください,彼女は8年後末の娘が結婚するその時もまだ生きていたのです。何が生じたのでしょうか。姉妹が言うことには,「私はエホバに信仰を働かせ,希望を置き,そして,エホバは私に癒しておあたえになりました」。
私たちは医者のところに行って,「あなたは,彼女が一年(し)て死ぬと言ったじゃないですか。でも,8年経っても,まだ生きています」と言うことができます。医者は何と言うでしょうか。医者は,そのような時に,診断に間違いがあった,誤診があった,と言うかもしれません。





しかし,医者の中には,実験室の報告であるとか,錠剤だとか,あるいは,切開手術などでなし得ない,もっと大きな事があるんだということを認める人々がいます。説明のつかない,思いが体に影響を与えるというか,そういうことを証言する医者がいます。そして,医者の中には,

治すことのできない病気などはなくてただ治すことができない人々がいるのだ

と言っている。
ある人々の中には,自分が「病気だ,病気だ」と言い続けている。このことゆえに,病気である人がいます。そういう病気が(公言)しますと,「あそこが痛い,(ここが痛い,(ここが痛いよと言ってずっと病気であることを言い続けている聞いている私たちまで病気になっちゃうような気がいたします。(聴衆,笑い)

しかし,ダビデは,私たちがエホバに依り頼むことの大切さを教えています。私は,一人の兄弟を知っていますが,この兄弟は,慢性的な病気に(かかっています)。しかし,医者は彼を調べて,もう病気である(理由)は何にもないと言っているのです。しかし,その人は,「私は病気でありたいと述べていますそしてこの人は油注がれた者だと言っていて病気だと言われたら本当に喜びましたそしてずう~っと病気であってそれから間もなく亡くなってしまいました

しかし,私たちは,別の兄弟を知っています。この兄弟はベテルに住んでいて,白血病にかかっています。私の考えでは,この人は長く生きないだろうと思っていたのです。もう15年も生き続けていて,そして,15年前よりもっと元気になっています。そして,この夏の「清い言語」地域大会でヤンキースタジアムの大会でこの人は話をして,そして,今までに聞いた最も良い話の一つを行なったところです。そして,ギレアデの卒業式の時には,この兄弟が祈りを行ない,今までに聞いたことがないほど素晴らしい祈りをこの兄弟は捧げてくださいました。

別の兄弟に関して申しますと,医者は,「すぐに手術を受けないならば,あなたは死んでしまうでしょう」と言われました。それは,15年も前のことですが,彼は未だに元気に(しています)。こうしたことは,どうして説明がつくんでしょうか。つまり,私たちの思いと体,そして,私たちの中にあります免疫物質と私たちの頭脳,こういうものが密接に相互関係にあるということについて理解が深まっています。そして,頭脳の中で作り出されるその考え方によって体の中にある化学物質が生産されるそしてそれが体に影響を与えるのです。そして,作り出される化学物質が,私たちに良い作用をすることもありますし,逆の作用をすることもあるのです。喜びだとか悲嘆だとか,そういったものは,実際に私たちの体に,ある化学物質を作り出しているのです。そして,そういう感情が,つまり,私たちを生かすこともできますし私たちを殺すこともできるのです私たち自身で物事をよく感じたり悪くとったりすることもできるのです。怒りっぽい人,そして,自分自身を---なっている人,---ならば,私たちはいつも---ものでしょう。

しかし,それとは対照的に,私たちはよく大笑いをして,また,ほほえみをたたえるならばそれは私たちの体に良いことをします。「笑い」は本当に“薬”なので。「笑い」は,確かに“薬”です。全部の病気を治すことができると言ってない。でも,しかしそれは助けになるのです。そして,自分たちの「考え方」というものを「変える」ことによって,人々は驚くべき変化を(自分の身に)きたしています。神は,私たちが自分の「思いを変え」て,そして,神に受け入れられる者となるように,そういうふうに励ましておいでになります。他の人々に培うことを励ましているこの「新しい人格」,これは,私たち一人一人にとっても,私たちをより良い者にする作用があります。そして,このようにして,エホバが私たちにより良い生活をするように,より良い人になるようにしてくださってるということに対して,私たちは感謝することができるのではないでしょうか。---という医学博士は,

「「生きることを望む希望を持つ人々が体の中で生きよ!というそういういわば信号のようなものを送り出している

と言っています。
いつも荒っぽいとか,そして,気落ちしたり,落胆したりしている人々は,それとは反対に,体の中で「死」の“信号”を送り出しているようなものです。医者の中には,人間の体というものが,本当に素晴らしい創造物であるということを認めるようになっている人がいます。実際に,それは,もう何世紀も前から語られていることなのですが,最近になって,そのようなことをやっと見いだすようになってきたのです。もし私たちが,自分の体に,それなりの機会を与えるのであるならば,体の中には,それ自体を癒していく,そういう驚くべき力があります。ダビデ王は,自分の体が,畏怖すべき仕方で造られているということに驚嘆を覚えています。しかし,兄弟たち。一つしなければならないことは,エホバがお与えくださったこの素晴らしい身体を,よく世話していかなければなりません。神の律法と調和して歩まなければなりません。 

もし,皆さんの中で,まだこのことをしておられない方がおられるならば,ぜひこのことを行なってください。つまり,タバコを捨ててください。タバコは,(人殺しです)。そして,アメリカからこの日本に参りまして,特に,兄弟たちにお伝えしておきたいことは,そんな役にも立たない,そうした栄養素のない,いわゆる「ジャンクフード」 といわれるようなものをやめてしまいなさい。あるいは,ごく簡単なそのソーダ水のようなものとか,そして,キャンディーのようのもの,そうしたものをどんどん人々が取り入れますが,それは人々に害をもたらすのです。

最近の「タイム」と呼ばれる雑誌の中では,日本人の平均寿命が78歳までいっているのですが,最近どんどんどんどん取り入れられています,いわゆるそういう粗末な食べ物,「ジャンクフード」と呼ばれるようなものが,どんどんどんどん日本に入っているので,西暦2000年までには,平均寿命が48歳くらいまで落ちてしまうかもしれないと書かれています。そして,協会を通して,こうしたことを教えてくださるエホバに感謝しなければならないことですが,麻薬,こうしたものは絶対に吸ってはなりません。そして,アルコール類について言うならば,「すべてのことに平衡を保ちなさい」と言われているように,慎み深い利用をして,アルコールによって自分の体が害されてしまうようなことがないようにしてください。そして,中には,---きれいな事務所で---しておりまして,そこで人々が---指先だけ動かしている仕事を(しています)けども,しかし,私たちには筋肉があり,体がありますから,それをよく(動かして)よく運動しなければなりません。飛び上がって,ジャンプを行なって,よく体を使ってください。そして,この会場に来て,かわいい子供たちを大勢見ていますが,お母さんたち,どうぞ,この子供たちを正しく扱ってください。良い栄養豊かなものを与えてください。それらは,正しく考えをし,そして,良い決定を下すのに助けになるでしょう。そして,そうするならば,ただ気分が良いだけでなくて,もっと健康であり,そして,エホバに賛美を一つ加えていくことができるのです。こうした事柄の90パーセントが,人が健康であるかどうかの90パーセントを決定することになるのです。

ただ,問題となるのは,こういうことを聞いても,一つの耳から入って別の耳から出て行ってしまい,実際に,元通りの生活の型に戻ってしまうということです。しかし,驚くべきことに,こうしたいろいろな障害の90パーセントというものは,いわゆる心理的な源を持っているということです。そして,問題の---というものは,私たちが「自分の命をどういうふうに見るか」ということから始まります。医者が述べているところによりますと,今日,多くの人々が生きているのは,「生きたいと思っているから生きている。そして,そういうふうに考え(てい)る彼らを(生かすことが)できるのです。

兄弟たち。私たちは,「生き続けたいと思っています。イエスは,人が

「生きなければならない

とおっしゃいました。
ただ,パンだけによらず,神のみ言葉のすべてによって「生きなければならない」とおっしゃいました。ただ,問題は,私たちが強くそう希望しない,それほど深く信じないということにあるのかもしれません。神が与えてくださった信仰の希望,それを生かし続けていかなければならないのです。

ただ,病気になりますと,私たちは,至極ひどく簡単にエホバを忘れてしまって,そして,医者のところに行ったり,はり医者のところに行ったり,あるいは,一般(開業医)のようなところに駆け込んでしまうのです。
ブルックリンにあります,ホスピタル---というところで働いている兄弟が言うことには,「人は病気になると兄弟たちはエホバのことを至極簡単に忘れてしまう」と言っていますが,このことは,私を本当に(当惑させる)ものです。もちろん,私が申し上げているのは,そういう専門(局)の医者のような方々が,立場を全く持っていないなどということを決して申し上げているのではありません。しかし,私たちは,皆さんを「霊的な人々」と見ているのですから,皆さんの信仰と希望を生きたものに保ってください。

だからといって,まだ松葉杖を捨てちゃだめですよ。王国はまだ来ていない,王国の支配は,まだ決まっていないのですから。完全な義の(秩序)では,王国の支配のもとで,本当に楽しめるものですが,私たちは今,私たちの生き方をより良いものにしなければならないのです。私たちは皆さんが,ご自分の生き方をもっと豊かなもの,より豊かなものとして,より良いものにすることによって,命を長く保つようにと希望しています。王国が支配をする時に,私たちすべては,より完全な健康をそこで享受することができるのです。しかし,私たちの生活をより豊かなものにすることができるものがあるのですから,それを学び続けていきましょう。





歴代第二16章12節の中で,エホバがそのことをどう言っておられるか見ることにしましょう。イスラエルにいた数少ない忠実な王であったアサが,ある人々は信じないかもしれないんですが,実際に(書いてあります)。12節の中にありますように,「その病の中でさえ,彼はエホバを求めないで,かえって治療者を求めた」と書かれています。
この王,つまり,(軍事)の才能に長けたこの王,イスラエルにエホバを求めるように教えたこの王が,実際に自分が病気になった時にはエホバを求めなかったのです。しかし,むしろ,人間の治療者に治癒を求めているのです。それは,たいへん惨めな結果になりました。私たちが学ぶように,エホバはこのような記録を留めてくださっています。アサのそのような態度をエホバはお喜びになりませんでした。そして,私たちがもしアサのように振る舞うのであるならば,エホバは私たちをもお喜びになりません。健康な生き方の鍵とも言うべきものは,「健康な考え方」です。

感謝すべきことに,私たちの愛すべき兄弟は,決してあきらめませんでした。兄弟たちが,それほど強くエホバに希望を置いたので,その,そういうものが作用して,体の中の化学物質,化学的な性質,そうしたものを変えるまでになったのです。

箴言23章7節の中では,「彼は自分の魂の中で計算(する)」と書かれています。(possible注: 「箴言23章7節」を参照。) 「幸福な考え方」,それは,幸福な人を作り出すのです。腐敗した考え方,それは,人を腐敗させてしまうのです。非常に(否定的)消極的な見方をするのであるならば,私たちは,だんだん気落ちしてきてしまいます。そして,悲しい考え方をするのであるならば,自分自身そういう人なっていってしまい,それと同時に,私たちの周りの人たちさえも,そういうふうにしてしまうのです。「考え方」が,人を生き生きとしたものにすることもできるし,そうした---方向に人を持っていってしまうこともあります。使徒パウロは,フィリピの手紙の4章8,9節あたりで,「そうしたことを考え続けなさい」と言っています。

「終わりに,兄弟たち,何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい。あなた方がわたしとの関係で学び,また受けたり聞いたり見たりした事柄は,これを実行しなさい。そうすれば,平和の神があなた方と共にいてくださるでしょう。」
-フィリピ4:8,9


ですから,エホバが私たちに与えておられる(アドバイス)というのは,王国の考え方に私たちの目の焦点をしっかり合わせるということです。エホバは私たちに「清い言語」を与えておられます。それを用いましょう。「ものみの塔」を考えましょう。聖書を考えましょう。神が作り出してくださるその将来というものを考え続けましょう。エホバに対して歓びましょう。そして,信じてください。そうしたことが,皆さんの生活をより明るいものするでしょう。そして,そうしたことをするならば,私たちの体内の化学的な性質というものを,より良いものに変えてしまうのです。ローマ6章12節

「それゆえ,罪があなた方の死ぬべき体の中で引き続き王として支配し,あなた方が[体]の欲望に従うということがあってはなりません。」
-ローマ6:12

と言っています。
どう考えるかその考え方に注意してください。エホバに望みを置くことによって,聖霊が私たちの人の造りを変え,「新しい人格」を私たちに与えるのです。 そして,そのようにしていくのであるならば,ハルマゲドンの---さえ,私たちは最善の生き方をしていくことができるでしょう。そして,それ以上の事柄として,新しい体制において私たちは永遠の命を得ることができるのです。


医者は,私たちの体の中に働く新しい力,そうしたものを学び続けています。エホバは,そうしたことをもう何世紀も前に,聖書の中で述べておいでになるのです。イザヤ40章31節で,

「しかし,エホバを待ち望んでいる者は再び力を得る。」
-イザヤ40:31
possible注: 「イザヤ40章28-31節」を参照。


エホバは私たちのエネルギーの源であられますだから私たちはその方に希望を置くのです
---という医者は,こう述べています。

「人々は,自分の思いで自分を癒すことができます。そこに力があるのです。ひとたび,それを働かせるとするならば,それが「宇宙的な力」と結びつくのです。そうするならば,その力の中に不可能なものはないのです」。

まあ,この医者が言うすべてのことを信ずる必要はないのですが,しかし,この言われている事柄は,一緒に討議しております神のみ言葉の真理と非常に深い関係があります。私たちの心や思いが,神のみ言葉,霊に---となり,調子を整えられ,調子を合わせることができるならば,できないことはなくなるでしょう。かつて,詩編記者は,詩編103編1-4節で,こう語っています。

「わたしの魂よ,エホバをほめたたえよ。わたしの内にあるすべてのものよ,その聖なるみ名を[ほめたたえよ]。わたしの魂よ,エホバをほめたたえよ。そのすべての行ないを忘れてはならない。[神]は,あなたのすべてのとがを許し,あなたのすべての疾患をいやし,坑の中からあなたの命を取り戻し,あなたに愛ある親切と憐れみを冠として添え,」
-詩編103:1-4


これは,人に励ましを与えるものであり,ですから私たちの祈りは,「わたしの魂よ,エホバをほめたたえよ」というものであるべきです。ですから,今日,大勢の人々は,体の状態がもっともっと良く(なる)ものと考えられないのに,体の状態がとても良くなっているのです。そして,私たちの体をエホバが意図されたような傾向で使うことができるのです。信仰と希望が人に何をすることができるかということを,医者たちは驚いています。

---という医者は,こう言いました。

あるガンの患者のその患部が小さくなってしまったり消えてしまったりするのに驚いている。かつて,そうしたことを見たことはない。こうしたことを今まで見たことがなくて,そして,医者として,こうしたことを本当に気味悪くさえ考えている。そういう患者を助けるために,まだ仕事を始めないうちから,そういう人がもう良くなってしまっているのです」。


カリフォルニアの開拓者の姉妹についてお話ししましょう。この姉妹は,ガンにかかっていました。医者は,ある時,この人に,この人が「まもなく死ぬであろうということを告げたのです。そして,この人は,生きていてエホバにお仕えするためにできること何でもやろうという,そういう決意を言い表しました。そして,生活の仕方を変えて,そして,開拓奉仕を始めました。そして,医者たちは,彼女をしばらく後に見たところ,驚いたことに,そのガンが縮まっているのです。そして,毎年毎年,医者のところに定期的にそこの検査に行くのですが,もうその痕跡さえ残っていないのです。私共も,その人を知っています。カリフォルニア・ロングビーチに住んでいます,エホバに非常に大きな信仰を持っている愛すべき姉妹美しい姉妹です

そして,ある(時)には,テレビの宣伝を見ている時,こういう必要な---薬を取らなきゃいけないという宣伝によって,そうしたものが私たちの思いの中で働いてしまうのです。ある時,事務所で働いておりました時,外部の姉妹から電話がかかってきました。そして,その姉妹が言うには,「私は,本当に重い病気にかかっていて,そして,どうしてもお目にかかってお話ししなければならない」という,そういう電話でした。まあ,普段,私は,そういう外部からのお客さんを招かなくても,十分仕事を持っているのですが,彼女があまりにも必死だったので,彼女に来てもよいということを話しました。まあ,女の人がそれほど速く動くのを見たことはないんですが,その人は,その(百科事典のような)大きな本を持って,私の事務所に入ってまいりました。「姉妹,いったい何が問題なんでしょうか」。 そして,その姉妹が言うには,「私はエイズ にかかっている」と言うのです。そして,「どうしてエイズにかかっていると分かるのですか」。 「この本に書かれていることを読みますと,どうしても私がエイズにかかっていると結論しなければならないんです」。 この姉妹は,かなり大きな,つまり「200ポンド」(possible注: 約91キロと言われるほど大きな体をした方です。この姉妹に対して,

「その本がいったい何を述べているか私は分からないけども,とにかく,エイズにかかっている人が200ポンド以上になることはないんだエイズになったら骨と皮だけになっちゃうんですよ

と言いました。(聴衆,笑い) 
その姉妹は,「本当ですか? ああ,嬉しい。ああ,神を賛美する」と,そう言っていました。(ここでも,聴衆の笑い) その本に書かれている事柄がその人の思いに焼き付いてしまってその人を病気にいわば病気にしまっているのです。この姉妹は,現在,私の会衆におりまして,元気に開拓奉仕をしています。お分かりになるでしょうか。間違った情報を取り入れると,それが人に何をもたらすかということです。





最近,私共は,エクアドルに行ってまいりました。そして,一組の夫婦が開拓者を紹介してくれました。そして,その兄弟がそばにいる姉妹を指さして,「この姉妹は病院でもう回復の見込みがないという診断を受けた姉妹なんです」と言いました。そして,医者たちは,ただ彼女を病院に残して,そして,死ぬにまかせていたのです。そして,兄弟は,この人を病院に見舞って訪問した時に,「あなたがどうせ死ぬならば,病院の中で死ぬよりも,外で死んだほうがいいんじゃないか」と言いました。そして,姉妹は,そのことに同意しまして,その病院を去ることにしました。
そして,署名をして立ち去るんですが,病院を出たとたんもう少し気分がよくなってきました。この---兄弟は,この姉妹を自分の家に引き取って,そして,ぜんぜん歩けなかったんですが,とにかく歩かせました。そして,それから,家から家の伝道に連れて行ったのです。8年経った今この方は前よりも元気でそして歩いており,そして今では開拓奉仕をしているのです。実際に,その姉妹は,たいへん健康そうになって今(して)いるので,実際にこの兄弟は彼女と結婚いたしました。私は,この目でその姉妹を見たんです。この姉妹が言うには,「エホバが私をこのように癒してくださいました。そうでないと言える人がいったいいるでしょうか」。

回復の見込みがない病気というものはない

ということを医者は言っています。
ですから兄弟たち,親愛なる兄弟たち,皆さんも,信仰と希望を生きたものに保ってください。私たちの頭脳とその自分の健康を回復する音信,そうしたものを私たちに出して,そして,体が回復するのです。体の調子の悪い,健康でない人のほうが,健康な人よりももっとエホバに強い信仰を持ちます。ゆえに,私たちは,驚くべき可能性が(ある)と言えるのです。王国の希望というのは何と素晴らしいものなのでしょう。エホバの約束,それが私たちの心に触れるのです。エホバのみ言葉は,私たちに「生きる理由」を与えます。イエスは,私の語る言葉は,霊であり,「命」であると語られました。パウロによりますと,神の言葉は「生きていて」,力があります。人々が神のみ言葉と接触を持つようになる時に,それは実際に,神のみ言葉を通して「命」を見つけ出せるのです。まさに死のうとしているような人,たとえば,イエスの隣で刑柱に付けられた人に対して,イエスは,「私と一緒にパラダイスにいる」と(言われました)。悲しんでいる女に対してイエスは,「あなたの兄弟は再び生きるであろう」と語られました。そして,「信仰を働かせる者は決して死を見ないであろう」ということを言われ,最後に,「あなたはそれを信じますか」と言われました。イエスは人々に希望をお与えになりました

家から家に伝道したり,再訪問を行なったりする時に,「生きる希望」を人々に与えていきましょう。楽園の希望,王国の支配(する),楽園の希望で「永遠に生きる希望」を人々に分け与えましょう。「生きる希望」を与える,敬虔な考え方を持つ,こういうことを人々に与えていくというのは何と素晴らしいことでしょう。希望は私たちに活力を与えそして,私たちを元気づけるのです。希望は私たちを生きたものとします。


神の王国の良いたよりは,人々がそれを聞いた時に何かをもたらすでしょうか。1978年の「ものみの塔」(possible注: 「ものみの塔」誌(日本語版)1979年1月15日号8ページ。)に書かれている事柄をお知らせしましょう。
一人の若い男の人が,たいへんな苦しみを味わっていました。といいますのは,この人は,多発性硬化症 に悩まされています。医者は彼に,

あなたは再び歩くことがないでしょう。あなたは死に至るまで,この車いすに座るのです」

と言ったのです。
この男の人は生きる希望を失って死ぬことを望みました。ある日,エホバの証人が彼を訪問し,聖書研究を始めました。王国の希望を知った時にこの男の人の心は驚かれました。「生きる理由を人生の中で初めて見いだした」とさえ言ったのです。そして,その兄弟は,その家を(出た)時に,その男の人は「歩こう」とさえしたのです。最初に彼がしたのは,手とか膝とかではい回るようなことでした。そして,膝とか手で壁に触れてそしてそこで起きあがろうとしたのです。「立つことができる」ということを学んだのです。それ(の後)に,彼は,療養所のようなところに入りました。それから,アパートに移り,自分で料理をすることを学んだのです。自分でアパートを掃除しました。そして,王国の良いたよりを伝道するまでの強さを感ずるようになりました。家から家で,そして彼は,家から家に歩き,そして,王国の良いたよりを語るのです。「死ぬまで車いすに座らなければならないと言われた人がそういうことをできると皆さん信じることができるでしょうか。ですから兄弟たち,皆さんの信仰と希望を生きたものに保ってください。





31歳の日本の女性の(経験です)。膠原(こうげん) という病気にこの方はかかっていました。顔はミイラのようになりそして自分で顔を表情を変えるようなことはできませんでした。あごを使うことはできず,流動食などで命をつないでいたです。この人は,三人のかわいい(子供がいました)。そして,エホバの証人が彼女を訪問して,そして,啓示21章1-4節を示したのです。そして,その聖句の中では,王国の下では病気や苦しみや嘆き,そうしたものがないことを(示したのです)。「生きる希望を見い出したのは人生で初めてだと言ってこの人は何度も何度も聖書を読んだのです。研究が始まり,貧血状態がなくなり,そして,まもなくこの人は他の人々に王国の希望を語るようになりました。口の筋肉がだんだんゆるみ,そして,医者は---再び,なぜこんなことが起こったのか不思議に思ったほどです。そしてこの人は,今では,私たちの仲間の姉妹の一人になっているのです。兄弟たち。ここでもやはり,私たちの信仰と希望を生きたものに保ちましょう。希望は人々に驚くべきことを行なうのです

ある兄弟が言うことによりますと,「新しい体制に対する希望,それが私を動かしてくれているのです」と言っています。そして,実際は,すべての人がそうするならば,全部そうなるのだということです。しかし,実際には,残念なこととして,非常に多くの人々ができるあらゆることをした後に,何もない---があると言うのです。

一人の姉妹は,背中の痛みをずっと持っていました---。座っていたり,歩いたりすることも難しかったのです。そして,この姉妹は,ほとんどの時間というものを診療所のような所で過ごし,自分の生まれたばかりの(子供)全部がそういう所に引き取られていたのです。ある日,彼女は王国会館にやってきました。そして,王国会館の中で彼女は驚いたことに,医者である一人の兄弟を見つけたのです。彼女は,まっすぐ彼の所に行きました。「愛する兄弟。あなたはお医者さんです。どうぞ私を治してください」と彼女は言いました。しばらくの間,この兄弟は,彼女の言うことをずっと聞いていました。そして,ポケットからペンを取り出しまして,そして,何か紙の上に書いて,それを折りたたんで彼女に渡して,それを「見ないように」と言ったのです。彼女は,「家に行くまで見ないように」言われていたので,集会(後),もう急いで家に帰りました。彼女は家に帰るやいなや,ドアを開けました。そして,ドアを開けたところで,その折りたたんだ紙を開いて見ました。そして,そこに書いてあることと言うのは,「あなたは開拓奉仕をしたことがあるか」と書かれていました。そして,彼女は,すぐに電話(をとり),電話を医者にかけました。「あなたは冗談を言っている」。(しかし,)医者は,「でも,あなたは,私に何か助けることができないかと言ったじゃないですか」と言いました。「じゃあ,なぜ私にそんなことを問いただすのか。私の言ったことをまずして,それから,私のところに来なさい」。 

(注: ここで,テープが中断:
内容は,彼女は,ナアマンのことを思い出した。ナアマンは,エリシャに言われたとおりにし,七度水につかった結果,癒えた,というもの。)


(そのとおりに)したことによって,病が癒えたこと,らい病が癒えたことを思い出しました。彼女によりますと,それは本当に最初は辛いことでした。ところが,ある時,道を歩いている時に,自分に偏頭痛 がないことに気づきました。そして彼女は,その活動をずっと続けていきました。今日では,その背中の痛みもなくなっています。もし,私たちが,その体に対して機会を与えるのであるならば,その中のものが本当に驚くべき働きをするのです。希望を持ってそれに付き従うということは,健全な助言です。希望は山ほどのことを私たちに行ないます。私たちの行なうすべての事で重要な働きをするのです。その希望は,神に対して犠牲を捧げることで大きな働きをします。





希望というものが人体の中で非常に重要な働きをするので,希望を持っていない人に外科医が手術をするのをためらいます。希望は支える力になるのです。逆境,そうしたものを乗り越える力を希望が持っています。「もう全部だめだというようなことを言わないようにするそれが希望です。希望は,「明日は今日よりももっと良くなる」という,そういう見方を与えます。希望,それはクリスチャン人格の一部で,そして,私たちに「新しい人格」を与えるのです。希望は,私たちからストレスを少なくし,そして,痛みを(やわらげる),そういう力さえ持っていると言われています。ですから,希望と信仰を生きたものに保ってください。希望は,現実を超越したものとなる時に,それは信仰となります。本当に必要としている神に対して,その信仰,そうしたものを私たちに与えるものとなるのです。普通を越えた事柄に対する希望を持たなければなりません。不可能と思える状況の中でも希望を持たなければならないのです

ハンナは希望を保ちそしてサムエルという息子を与えられました。エレミヤは当時の邪悪な人々の滅びを希望いたしました。そして,その希望が,彼を難しい状況の中で支え通したのです。そして,実際に,その難しい状況が彼に臨んだ時,彼が耐えている事柄は,「これこそ私が希望したこと,私が待ち望んだことである」と言っています。私たちは,ハルマゲドンでこの邪悪な体制の邪悪(な事柄)すべてを除いてしまうことを希望しています。いつの日か,私たちもエレミヤのように,同じように,この邪悪な事物の体制が除かれる時に,「これこそ,私たちが希望したもの,そして,私たちがそれを見い出し,私たちは今これを見ている」と言うでしょう。王国の良いたよりは私たちに喜びをもたらし,その喜びは,私たちの希望を高めるのです。

医者たちは,そういう希望が,ある種のホルモン の分泌に影響を与え,そして,その,それが私たちの免疫機能に作用すると言っています。ですから,ガン患者は,「たくさん笑いなさいと言われているのです。私たち,ま,変な冗談をよく言って,そして,お互いに笑い合うように,ということさえ言われているのです。笑いは痛みを抑える力がありますですから兄弟たち大いに笑ってください。王国の約束に喜びを抱いてください。


希望を持つという,そういう資質をどうして強めていくことができるでしょうか。希望は神からの贈り物です。ローマ15章13節に,

「あなた方が信じることによって,希望を与えてくださる神が,・・・」
-ローマ15:13

と書かれています。
ローマ5章1-3節のところでは,

「このキリストを通して,わたしたちは,自分たちがいま立っているこの過分のご親切に,信仰によって近づくことができました。それで,神の栄光の希望をよりどころとして,歓喜しようではありませんか。それだけでなく,患難にあっても歓喜しましょう。患難が忍耐を生じさせる・・・」

ということが書かれています。
これを通して学ぶことができるのは,私たちが,いつも希望に満ちあふれるということです。神のみ言葉に基づく「積極的な見方」を持つ,喜びに満ちた人,そういう人にならなければなりません。

何か自分が少し落ちているなあというようなことを感ずる時に,何か違うことをするようにしてください。立ち止まって,何か文句ばかり言ってるのではなくて,違うことをするようにしてみてください。姉妹たちの中でそういうふうなことを思うならばバラの一束を自分のために買って,そして,違うことをする,違う考え方をするようにしてください。---そして,好ましい王国の音楽を聴いて,そして,自分の考え方を変えてみてください。好きな聖句を思い出してそれをずっと考え続け,そして,それが心の中にとどまるようにしてください。あなたの口にある希望の灯火を,いつも輝かせてください。神のみ言葉を受け入れて,それによって,自分が幸福な人であるようにしてください。希望を持って,そして,新しい事物の体制,楽園の体制を考えて,他の人のために何かをするような,そういう考え方をしてください。他の人々と自分の考えを交わし,そして,そうした良い事柄を夢見てください

エホバに関する考え方,エホバに対する思い,そうしたものは,だんだんだんだん人に伝達することができるのです。王国のたよりというものが,人々の生活をより良いものにするのだということを,どうぞ知ってください。自分と自分の他の人々を変えるために,その王国の希望というものをよく教えてください。神が与えてくださる希望が,私たちをより健康な,より幸福な,そういう人に,より良い人になるように---してください。そして,来るべき新しい事物の体制においては,永遠の命を得るのです。ですから,皆さんの信仰と希望を生きたものに保ってください。


(ダニエル・シドリックによる講演 終わり)

















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