「疲れた心に強い翼を! -You are loved- あなたは愛されている」のサイトマップ
![]()
「
(注:
「漢字」に対し,日本製の文字(漢字)は,「国字」あるいは,「和字」と呼ぶ。
これには,たとえば,魚偏では,「鯰(なまず)」「鯑(かずのこ)」「鯱(しゃち)」「鰯(いわし)」「鱈(たら)」などがあり,鳥偏では,「鴫(しぎ)」「鴇(とき)」「鶫(つぐみ)」などがある。)
古代中国で発生したこの文字は,朝鮮,ベトナム(安南),日本などに広まったが,今では,中国と韓国の一部,それに,ここ日本で用いられているだけとなっている。
さて,この中国の文字が,日本に初めて伝わったのは,
応神天皇の第16年
(一説には,西暦284年
「新漢和辞典」大修館書店,昭和58年改訂版)
のことである,と言われている。
その年,「
(注:
しかし,「世界大百科事典」(平凡社)は,「漢字」という項目の中の「日本における漢字」という副見出しにおいて,次のようにも述べている。
「日本へは紀元1世紀またはその前後に,王裸(おうもう)の貨泉が渡来しているから,そのころには,漢字が知られていただろう。ただし,文字の機能まで十分日本人が理解していたかどうかは疑問である。」
CD-ROM「世界大百科事典 第2版」日立デジタル平凡社,1998年。)
以来,日本の正式文字として採用されてきた「漢字」は,今では,日本人の文化には決して欠くことのできない重要なものとなっている。
この中国の文字(漢字)が,実際に「いつ」の時代に発案され,「誰」によって作り始められたのかは,諸説はあるが,一説には,古代中国の伝説上の帝国の三番目の皇帝(黄帝)に仕えた大臣,
「蒼頡 」
が,漢字の「発案者」であろうと言われている。
(そう‐けつ【蒼頡・倉頡】とは,
「(ソウキツとも) 黄帝の臣で,鳥の足跡をみて初めて文字を作ったといわれる人。」
「広辞苑」第五版。岩波書店,1988年。)
しかし,これは,黄帝が「
それで,漢字が,実際にいつの時代,
「史実によって明らかにすることはできない」
(「新漢和辞典」大修館書店,昭和58年改訂版。1051ページ。)
とのことである。
しかし,それでも,この漢字の歴史は非常に古いことが分かっており,中国の歴史の,おそらく最初の頃に作られ,少なくとも紀元前1500年よりも早く,さらに,その漢字の元になっている「象形文字」や「表意文字」になると,今からおよそ4500年も前の
紀元前2500年頃
であるとも言われている。
しかし,「
![]() |
「亀甲,獣骨に刻まれた文字。 (Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) (c) Shogakukan 1988/ |
こ
の漢字は,英語などの「アルファベット」を持つ言語,また,日本語の「ひらがな」や「カタカナ」のように,一文字が単音を表し,それ自体では意味内容を持たない「
漢字は,発せられる「音」を記したものではなく,「概念」を記したものなのである。
(ひょうおん‐もじ【表音文字】とは,
「一つ一つが音声上の単位に相当する文字。音素を表すものを音素文字,音節を表すものを音節文字という。音字」の意。
(「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年。)
(注:
ちなみに,多くの言語のアルファベットとは違い,「ヘブライ語」の22のアルファベットの文字(子音字)には,それぞれに意味がある。
アーレフ は,「牛」「雄牛」「雌牛」。 ベートは,「家」。 ギメルは,「らくだ」。 ダーレトは,「扉」。 ヘーは,「窓」。 ワーウは,「釘」「鉤」「フック」。 ザインは,「武器」。 ヘートは,「柵」。 テートは,「へび」。 ヨードは,「手」。 カフは,「手のひら」。 ラーメドは,「突き棒」。 メームは,「水」。 ヌーンは,「魚」。 サーメクは,「支柱」。 アインは,「眼」。 ペーは,「口」。 ツァーデーは,「釣り針」。 コーフは,「針の穴」。 レーシュは,「頭」。 スィーンとシーンは,「歯」。 ターウは,「印」「記号」「十字」を意味する。)
言
語学者によると,漢字は,それぞれの文字が固有の意味内容を持つ
「表意 文字」
つまり,「意味を表わす文字」である。
(ひょうい‐もじ【表意文字】とは,
「一つ一つが特定の意味を表す文字。意字」の意。
「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年。)
(注:
表意文字としての漢字の字数はきわめて多く,およそ五万字もあるとのである。
しかし,現在の日本の一般社会生活で使用する「常用漢字」の数は,1945字である。)
特に,漢字の中の個々の「
漢字構成上の名称の一つ。 左右組み合わせて成った漢字の「左側の部分」。 例えば, 「初」「袖」「複」などの「衣」の部分(ころもへん) 「快」「情」「忙」などの「心」の部分(りっしんべん) など。 「衣」は,「うしろのえりをたて,前のえりもとをあわせて, はだを隠したきもののえりの部分を描いたもの」。 「心」は,「心臓を描いたもの」 である。 |
漢字構成上の名称の一つ。 左右組み合わせて成った漢字の「右側の部分」。 例えば, 「机」の「几」 「作」の「乍」 「池」の「也」 「秋」の「火」 の部分など。 「几」は,「足つきの四角い台を描いたもの」。 「乍」は,「刃物でさっと切るさまを描いたもの」。 「也」は,「平らにのびたさそりを描いたもの」。 「火」は,「火が燃えるさまを描いたもの」 である。 |
言語学者は,この種の文字を,
「象形 文字」
つまり,「絵の文字」と呼んでいる。
(しょうけい‐もじ【象形文字】とは,
「物の形を抽象化し,文字化したもの。エジプト文字・漢字など。形象文字」の意。
(「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年)
それらの文字の中には,
「日」「月」「木」「人」「口」
といった,日常生活でなじみの深い一般的なものを表わす語が含まれている。
(注:
「象形文字」の数は,およそ600あるとのことである。)
現在,これらの文字を見ても,とても「絵」には見えないが,それは,多年にわたり継続的な「簡素化」の段階を経てきたからであり,これらの語の「古い形」を調べてみれば,そこに
絵
としての要素が大変明確になる。↓
![]() (『漢字源』EPWING版 (編者 藤堂明保, 松本 昭,竹田 晃。株式会社 学習研究社発行,1993年)より転載。 左から右へ,「日」「月」「木」「人」「口」という漢字のそれぞれの「解字図版」より。) 「日」・・・「太陽の姿を描いたもの」 「月」・・・「三日月を描いたもの」 「木」・・・「立ち木の形を描いたもの」 「人」・・・「人のたった姿を描いたもの」 「口」・・・「人間のくちを描いたもの」 |
さて,より「複雑」な概念を表わす文字は,普通の場合,幾つかの単純な絵の語から成り,それらの語は,人々が自分たちのごく「普通の経験」からその概念を理解できるように
組み合わされて
いる。
例えば,「木」に寄りかかっている「人」は,「休」みを意味する。
人 + 木 = 休
![]() (「《解字》 会意。 「人+木」で,人が木の陰にかばわれて休息するさまを示す。 かばいいたわるの意を含む。やすむの意はその派生義である。」 『漢字源』EPWING版 (編者 藤堂明保, 松本 昭,竹田 晃。株式会社 学習研究社発行,1993年) の,「休」という漢字の「解字図版」より転載。) |
「人」(にんべん)は,「人のたった姿」を描いた象形文字。
「木」は,「立ち木の形」を描いた象形文字である。
|
|
この漢字が形成された理由を理解するのはたやすいことである。
炎天下の仕事をしている「人」が,ほんの少しの間,「木」陰でひと息入れることは,非常に気持ちの「休」まる経験だったに違いない。
(注:
「休」という字は,「会意(かいい)文字」と呼ばれている。
かい‐い【会意】とは,
「二つ以上の文字を意味の上から組み合わせて新しい文字を作る法。「日」と「月」を合わせて「明」,「人」と「木」で「休」を作る類。象意。」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) (c) Shogakukan 1988/「国語大辞典」(新装版)(c)小学館,1988年。
「新漢和辞典」は,この「会意文字」に関して,次のように説明している。
「象形・指事によってできる文字にはおのずから限度がある。そこで既成の字を用い,それらを結合して新しい字を作る工夫がなされた。それが「会意文字」であり,また「形声文字」である。会意文字は,すでにできている文字を,多くの場合,音に関係なく二つ以上組み合わせて(そのいずれからも意味をとる)新しい文字を作り,それによって意味と音とを表すものである。・・・(中略)
相異なる字形の結合した例・・・休 キュウ,ヤスム(人が木かげでいこう形)・・・」
「新漢和辞典」大修館書店,昭和58年改訂版。1055,1056ページ。
さらに,漢字には,他に「指事文字」や「形声文字」(諧声(かいせい)文字)といったものがあり,一度成立すると,今度は「原義の上から」(転注),また,「音の上から」(仮借(カシャ))と様々に発展し,一字が原義の他に,種々の意味内容を持つようになったと考えられている。
この,「象形」「指事」「会意」「形声」「転注」「仮借」の六つを,「六書(りくしょ)」と言う。
この中の「転注」と「仮借」については,「古来諸説があって一定の論がない」とのことである。
「新漢和辞典」大修館書店,昭和58年改訂版。1055~1057ページ。)
ご注意: この記事では,一般に「形声文字」(意味を表わす文字に,音声を表わす文字を組み合わせて作った文字) であると言われる漢字も,まず「意味」の上から説明することを試みている。 したがって,一般の「漢和辞典」等で採用されている「六書」の説明とは,多少異なる。 また,この「漢字になった聖書物語」という記事では, 「聖書から」漢字の成り立ちを説明しようと試みており, 一般の漢和辞典にある「解字(かいじ)」の説明とは異なる。 漢和辞典の「解字」の多くは,現存する中国最古の字書「説文解字(せつもんかいじ)」にある 許慎(きょしん。95~124年)の「六書」による漢字の解釈を基としているが, その「六書」による解釈の方法でさえも,漢字が成立してから15世紀以上も経っていることや, その解釈が当時の「道教」の影響を受けていた可能性もあることも考慮する必要がある。 |
(せつもんかいじ【説文解字】とは,
「中国最古の部首別字書。中国文字学の基本的古典。15巻。後漢の許慎撰。西暦100年頃成る。漢字九千余字を540の部首により分類し,六書の説により字形の成り立ちを説明。説文。」
(「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年。)
さて,上記の「休」という漢字のように,その多くは,人々が自分たちのごく「普通の経験」からその概念を理解できるように組み合わされている。
しかし,極めて異例な物語,ごく普通の日常の経験とは全く関係のないように見える物語を秘めていると思える語が幾つかある。
そして,驚くべきことに,その中の幾つかは,その字の構成が,
聖書(特に「創世記」)の記述とたいへんよく符合している
のである。
これは,漢字と聖書の間に,何らかの「つながり」があることを示唆する一つの証拠と言えるかもしれない。
では,今,その実例の幾つかを,ご一緒に考察してみよう。
|
|
まず最初に,この漢字について考えてみることにしよう。
この漢字は,
丿+土+口=告+しんにょう=造
と書く。
この中の,「丿」(のかんむり)は,「鳥」「牛」「血」「生」といった字に見られるように,「生命」に関係している。
これは,「生命」の動き(「生きている」こと)を表す。
「土」という字は,「土を盛った姿」を描いた象形文字,または,「上の一は地表,下の一は地中,真ん中の縦棒は,草木のもえ出る形」,あるいは,「一が大地,十が草木の芽生え」を表す会意文字である。
(古代の人は,「土」には「万物を発生させ,生み出す力」があること認めていた。後漢の許慎(きょしん)による,現存する中国最古の字書「説文解字(せつもんかいじ)」には,「土は地の万物を吐生するものなり」とある。)
「口」は,上の象形文字のところで説明したとおり,それは「人間のくち」を描いたものである。
「しんにゅう」(または,「しんにょう」)は,「近」「道」「送」「退」「迎」「追」「逃」「迷」「進」「速」「通」などの字に見られるように,「歩行」(歩くことができること)を表す。
それで,この「造」という漢字は,
神が最初の人間アダムの体を,地面の「土」から形造り,神の「口」から命(ノ)の息が吹き込まれると,人は生きた者(ノ)となって,話したり(告),歩く(しんにゅう)ことができるようになった
という聖書の記述を思い起こさせる。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。99ページ。)
聖書には,こう記されている。
「それからエホバ神は地面(ヘブライ語「アダーマー」; 「土(アダマ)」新共同訳)の塵(脚注,「粘土」)で人(ヘブライ語「アーダーム」; 「人(アダム)」新共同訳)を形造り(「造り」口語訳),その鼻孔に命の息を吹き入れられた。すると人は生きた魂(脚注,[呼吸する生き物]に」)になった。」
-創世記2:7。[新世界訳聖書-参照資料付き]
(注:
興味深いことに,ヘブライ語では「土」のことを,“'adamah”「アダーマー」(ストロングナンバーは,「0127」)といい,「人」(「人間」)のことは,“'adam”「アーダーム」(ストロングナンバーは,「0120」)と言うのである。
(「参照資料付き新世界訳聖書」の創世記1:26; 3:8; 5:2脚注,および,申命記32:8の脚注参照。)
また,最初の人間の名前は,「アダム」といった。(ルカ3:38。コリント第一15:45)
このように,聖書は,人間が,地面の「土」から「造」られたことを示唆している。)
|
|
この漢字は,
西+女=要
と書く。
まず,「西」という字だが,これは,
一+儿+囗=西
と書く。
「一」は,「指事文字」と呼ばれるもので,「一本の横線」で,「ひとつ」を示す。また,「初め」「最初」を示す。
(し‐じ【指事】とは,
「事柄や数などの抽象的な概念を象徴的に記号化して字形とする方法。「一」「二」「上」「下」「本」の類。」
「広辞苑」第五版。岩波書店,1998年。)
「儿」(にんにょう)は,「人のひざまずいている形」,または,「人間の下半身」を描いた象形文字である。意味は,「人(ひと)」と同じだ。
(ちなみに,上の「象形文字」のところで説明したとおり,「人の立っている姿」を描いたものが,「人」という字になっている。)
「囗」(くにがまえ)は,「口(くち)」という字にたいへんよく似ているが,ちょっと形が違う。
これは,「周囲をぐるりと囲んださま」を示す指事文字(または,象形文字)で,「囲」の古字である。
この三つの文字を組み合わせて,「西」という字が出来ている。
(注:
幾つかの「漢和辞典」の「解字」を見てみると,この「西」という字の解字には諸説があり,一定していないことが分かる。
上に示したものは,その中の一つの説である。
ただし,『漢字源』EPWING版(編者 藤堂明保, 松本 昭,竹田 晃。株式会社 学習研究社発行,1993年)による「西」の解字は,以下のとおり。
「《解字》 象形。
ざる・かごを描いたもので,栖セイ(ざる状の鳥の巣)にその原義が残る。ざるに水を入れるとさらさらと流れ去って,ざるが後に残ることから,日の光や昼間の陽気が,ざるの目からぬけるように流れ去る方向,つまり「にし」を意味することとなった。」)
それで,この「西」という漢字は,
最初(一)の人間(儿)アダムが,エデンの園と呼ばれる庭園の囲い(囗)の中に,たった一人(一+儿)で立っていた
という聖書の記述を思い起こさせる。(創世記2:15)
そして,この「西」という字と,「女」という字を組み合わせて,「要」という漢字が出来ている。
「女」という字は,「なよなよとしたからだつきの女性」,または,「手を組み合わせ,ひざを曲げた女性」を描いた象形文字である。
この,「要」という漢字を見る時,次の状況をイメージさせてくれる。
最初(一)の人間(儿)アダムは,エデンの園(囗)に,たった一人(一+儿)でいた。
彼は,動物たちに名前を付けていたが,ふと,ある時,どの動物にもそれぞれ雄と雌の「つがい」があるのに,自分には「伴侶」がいないことに気づいた。
太陽が「西」に傾きかけ,様々な色に染まった美しい夕日を眺めていた時,彼は,自分が「ひとりぼっち」で,寂しく思ったに違いない。
そして,こう思ったことだろう。
と。
しかし,彼には,その美しい空を一緒に眺め,お互いに感動を分かち合える仲間が一人もいなかった。「愛する人」が,彼の側(そば)にはいなかったのだ。その時,彼は,自分を補い,助け手となってくれる
「女」性を必「要」とした
のである。
(もうひとりの「男」(話し相手,友人,弟)を必要としたのではなく,「女」性を必要としたのである。だから,「西」+「男」ではない。)
そのため,神は,彼のあばら骨の一つ(彼の「ハート」の近く)から一人の美しい「女」性を造り,彼に妻として与えた。
その「女」性は,彼にとって,他のどんなものよりも大切で,重「要」な存在だった。

(画: ギュスターヴ・ドレ(1832年-1883年)
Courtesy of: www.creationism.org )
聖書(リビングバイブル)には,その事が,こう記されている。
「18 ところで,神様はこう考えました。 「どうも人が一人でいるのはよくない。 彼を助ける者がいなくては。」
1920 そこで,土からあらゆる種類の動物と鳥を造り,アダムのところへ連れて来て,名前をつけさせました。 それぞれみな,アダムがつけたとおりの名前をもらいましたが,アダムの助けになるようなものは見あたりません。
21 そこでアダムをぐっすり眠らせ,その体から肋骨を一本取り出すことにしました。 取ったあとをきちんとふさぐと,
22 その骨で女を造り,彼のところへ連れて来ました。
23 「ああ,これならぴったりです!」 アダムは思わず叫びました。 「まさに私の半身です。 そうだ,『男』から造ったのだから,『女』と呼ぶことにしますよ(一種の語呂合わせ。ヘブル語では男をイーシュ,女をイシャーと言う)。」
24 人が両親のもとを離れて妻と結ばれ,二人が一体となるのは,こうした背景があるからです。」
-創世記2:18-24。[リビングバイブル]
(注:
興味深いことに,四世紀の有名なクリスチャンであるアウグスティヌスは,神が女を,男の「足」からでも「頭」からでもなく,「わき腹」から造られたことに意味を見いだしている。
女が男の「足」の裏から造られなかったのは,女が「男に卑しめられないため」,また,女が男の「頭」から造られなかったのは,女が「男の頭(かしら)となって,不当に支配しないため」であったのであろう,と言われている。
さらに,女が男の心臓(英語「ハート」)に近い「わき腹」(あばら骨)から造られたのは,「男と女がお互いに求め合うため」に違いない,と言われている。)
|
|
この漢字は,
木+木+示=禁
と書く。
「木」は,幹,枝,根のある「立ち木の形」を描いた象形文字である。
「示」は,物を載せて神に供える「祭壇」を描いた象形文字,または,そこに載せて「神に供えた物」を表す指事文字で,「しめす」を意味する。
また,この文字が漢字の「偏」(しめすへん)として用いられる時には,たとえば,「神」「社」「祈」「祝」「福」「祭」などの字に見られるように,多くの場合,神に関係のあることに用いられ,「神」を表す。
それで,この「禁」という漢字は,
神(示)が,最初の人間アダムとエバ(イブ)を造り,二人をエデンの園に置かれた際,園の真ん中にある「命の木」と「善悪の知識の木」(「善悪を知る木」口語訳)の「2本の木」(木+木=林)を「示」した
という聖書の記述を思い起こさせる。(創世記2:8,9)
そして,そのうちの「善悪の知識の木」については,神は,こう言われた。
「また,エホバ神は人に命令を与えてこう言われた。「園のすべての木から,あなたは満ち足りるまで食べてよい。
しかし,善悪の知識の木については,あなたはそれから食べてはならない。それから食べる日にあなたは必ず死ぬからである」
-創世記2:16,17。[新世界訳聖書]
つまり,「2本の木」(木+木=林)を神(示)は「示」して,その中の一本の木(「善悪の知識の木」)から食べることを「禁」じたのである。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。99ページ。)
彼らが,その命令に従わなかったので,後に,神は,もう一本の木(「命の木」)から取って食べることも「禁」じた。(創世記3:6,22-24)
|
|
個人的には,あまり使うこともないが,上記のように書いて,「らん」と読む漢字がある。
(注:
この漢字には,「貪欲」「欲深くほしがる」「むさぼる」「際限もなくほしがる」といった意味がある。
それで,「きわめて(非常に)欲が深い」という意味で,「貪婪」(どんらん。または,「たんらん」)などと言う時に使う。)
この漢字は,
木+木+女=婪
と書く。
![]() (『漢字源』EPWING版 (編者 藤堂明保, 松本 昭,竹田 晃。株式会社 学習研究社発行,1993年)より転載。 「木」「木」「女」という漢字の「解字図版」より。) |
「木」は,上の「禁」という漢字のところで考慮したとおり,幹,枝,根のある「立ち木の形」を描いた象形文字である。
「女」は,「要」という漢字のところで考慮したとおり,「なよなよとしたからだつきの女性」,または,「手を組み合わせ,ひざを曲げた女性」を描いた象形文字である。
「
これは,「2本の木」(木+木=林)の前にいる,あるいは,それらの木を
見上げている「女」
を描画的に表しているように思える。
(「目ざめよ!」誌1984年11月8日号22,23ページ。ものみの塔聖書冊子協会発行。)
また,これは,
「2本の木」(木+木=林)を示して,それから食べることを「禁」じたのが神(示)であるのに対し,「貪欲」にも欲しがったのが「女」(エバ)であった
という聖書の記述と符号している。(テモテ第一2:14)
聖書には,そのことが,こう記されている。
「そこで女は見て,その木が食物として良く,目に慕わしいものであるのを知った。たしかに,その木は眺めて好ましいものであった。それで彼女はその実を取って食べはじめた。その後,共にいたときに夫にも与え,彼もそれを食べはじめた。」
-創世記3:6。[新世界訳聖書]
|
|
この漢字は,
木+木+鬼+广=魔
と書く。
![]() (『漢字源』EPWING版 (編者 藤堂明保, 松本 昭,竹田 晃。株式会社 学習研究社発行,1993年)より転載。 「木」「木」「鬼」「广」という漢字の「解字図版」より。) |
「木」は,もうすでに何度も考慮したとおり,幹,枝,根のある「立ち木の形」を描いた象形文字である。
「鬼」という字の「解字」には,諸説があり,大きなまるい頭をして足もとの定かでない「亡霊」を描いた象形文字。
または,「怪物の頭の形」の下に「人」を意味する「儿」を,さらに,その右に「人に害を与える」という意味の「ム」を付け,この三つが組合わさって,人の「死後の魂」を表す会意文字。
さらには,「祖先の祭りに亡き祖先に似せた仮面をかぶった人」が原義で,「鬼」(仮面をかぶった人の形)が意符,「ム」が音符で,「不吉」の意を表す形声文字,とも言われる。
別の説では,「鬼」という字には,「造」という漢字のところで考慮したとおり,「生命」の動き,「生きている」こと,「動いている」ことを表す「丿」(のかんむり)の下には「田」,その下には「人」を表す「儿」,そして,その横の「ム」は,「私的な」「秘密の」という意味であると言われている。
「广」(まだれ)は,「まかんむり」ともいい,漢字の冠(または,たれ)の一つである。
これは,家の「屋根」を描いた象形文字,または,「切りたったがけ」を描いた「厂」(がんだれ)という象形文字に,「屋根」を意味する点を付けて,「がけの上に高くかまえた家」を表す指事文字である。
これは,「床」「庭」「店」「庭」「庁」「府」などの「家屋」に関係する字に用いられており,それは,「覆い」を意味する。
以上の,「2本の木」(木+木=林)と,「鬼」(丿+田+「儿」+ム)という字の上に,「广」(まかんむり)が付くと,「魔」という漢字が出来上がる。
それで,この「魔」という漢字は,
エデンの園(田)の「2本の木」(木+木=林)を隠れ蓑(广)として,エバを待ちかまえ,蛇という生き物(丿)を利用して,秘密裏(ム)に,人(儿)の声でエバに語りかけ,「善悪の知識の木」の実を食べるよう誘惑した「悪魔」(鬼)
を思い起こさせる。(コリント第二11:3)
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。99,100ページ。)
聖書(リビングバイブル)には,その時の様子が,次のように記されている。
「1 さて,神様が造ったものの中で,蛇が一番ずる賢い動物でした。蛇は女に,ことば巧みに話をもちかけました。
「ほんとうにそのとおりなんですかねえ? いえね,ほかでもない,園の果物はどれも食べちゃいけないって話ですよ。 なんでも神様は,これっぽっちも食べちゃいけないと言ったっていうじゃないですか。」
23 「そんなことないわ。 食べるのはちっともかまわないのよ。ただね,園の中央にある木の実だけは,食べちゃいけないの。 そればかりか,さわってもいけないんですって。 さもないと,死んでしまうって,神様がおっしゃったわ。」
4 「へえーっ,でも,そいつは嘘っぱちですぜ。 死ぬだなんて,でたらめもいいところだ。
5 神様も意地が悪いね。 その実を食べたら,善と悪の見わけがつき,神様のようになっちまうもんだから,脅しをかけるなんてさ。」
6 言われてみれば,そう思えないこともありません。 それに,その実はとてもきれいで,おいしそうなのです。 「あれを食べたら,何でもよくわかるようになるんだわ。」 そう思いながら見ていると,もう矢も盾もたまらなくなり,とうとう実をもいで,食べてしまいました。 ちょうどそばにいたアダムにも分けてやり,いっしょに食べたのです。」
-創世記3:1-6。[リビングバイブル]
さて,このようにエバをまんまと欺いた「悪魔」の「魔」という漢字に関して,元・中国の伝道師 C・H・カン師と,エセル・R・ネルソン博士は,次のように述べている。
「「魔」という言葉は,イブがエデンの園で蛇にそそのかされた話を示している。この世界最初の誘惑の話では,悪魔,つまり鬼が示されていなければならない。三つの象形文字が,この鬼を表している。
すなわち,「田」はエデンの園のことである。「人」とは,人間のことで,鬼は蛇の形をしてはいたが,ここでは蛇が人間のようにイブに語りかけたことを示す。「ム」は,私,秘密,という意味で,蛇のイブへの接近が秘密裏に行われたことを表している。これら三つの記号は,活発であることを意味する「ノ」とともに用いられて,「鬼」という文字になる。
さらに,鬼という漢字は,おおい(广)の下に,林と並べて配置された。蛇(鬼)は,エデンの園の中央に位置し,命の木の横にある禁断の木に隠れてイブを待っていた。つまり,二本の木で,「林」である。さらに鬼は木に隠れ,蛇の姿になって,身を隠していた,つまりおおい(广)で覆った。これらの記号を組み合わせると,「魔」という言葉ができあがる。これは,単なる一致であろうか?」
(C・H・カン&エセル・R・ネルソン著/林玲子訳「旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実」(英題“The Discovery of Genesis: How the Truths of Genesis Were Found Hidden in the Chinese Language
”「創世記の発見」) 同文書院,1998年。21ページ。)
(注:
上記の本では,「鬼」という字の中の「ム」は,「私」「秘密」という意味であると説明されているが,興味深いことに,「漢和辞典」によれば,この「ム」という字には,さらに,「某」という意味もある。(「新漢和辞典」改訂版。大修館書店,昭和55年。152ページ。)
それで,エデンの園で,本来は人間と話をすることなど不可能なはずの蛇を使って,こうかつにもエバに語りかけたその「鬼」とは,創世記には名をあげられていない“或る”霊的な存在を示唆しているようにも思える。(啓示12:9参照。)
さらに,「鬼」(悪魔)は,「あなた方は決して死ぬようなことはありません」とウソを「云」ったが,彼らは確かに死んだ。
興味深いことに,漢字では,「鬼」が「云」うと書いて,
|
|
と書く。
(C・H・カン&エセル・R・ネルソン著/林玲子訳「旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実」(英題“The Discovery of Genesis: How the Truths of Genesis Were Found Hidden in the Chinese Language
”「創世記の発見」) 同文書院,1998年。112ページ。)
|
|
この漢字は,
衣+果=裸
と書く。
「衣」(ころもへん)は,うしろのえりをたて,前のえりもとをあわせて,肌を隠した「着物のえりの部分」を描いた象形文字で,「衣服」を意味する。または,「おおうさま」を示す象形文字と,「二人で,すべての人」を意味する象形文字が組合わさった会意文字で,「すべての人をおおうもの」,すなわち,「ころも」を意味する。
ここでは,「偏」(ころもへん)として用いられている。
「果」は,「木の上にまるい実(果実)がなったさま」を描いた象形文字で,まるい「木の実」を表す。
この「裸」(はだか)という漢字は,聖書の次の記述を思い起こさせる。
「そしてそのふたりは,すなわち人もその妻も共に裸のままであったが,それでも恥ずかしくは思わなかった。」
-創世記2:25。[新世界訳聖書]
しかし,食べることを禁じられていた,善悪の知識の木の「実」(または,「果実」 新共同訳聖書の創世記3:3)を取って食べた時,彼らは,自分たちが「裸」であることを恥ずかしいと思うようになった。
それ以後,人間は,「衣」を着るようになったのである。
聖書(リビングバイブル)には,その時のことが,こう記されている。
「7 はっと気がついたら,二人とも裸ではありませんか。 急に恥ずかしくてたまらなくなりました。 何とかしなければなりません。 間に合わせに,いちじくの葉をつなぎ合わせ,腰の回りをおおいました。
8 その日の夕方のことです。 神様が園の中を歩いておられる気配がしたので,二人はあわてて木陰に隠れました。
9 神様の呼ぶ声が聞こえます。 「アダム,なぜ隠れるのだ。」
10 「神様がおいでになるのに裸だったからです。 こんな姿はお見せできません。」
11 「なにっ,裸だということを,いったいだれが教えた? さては,あれほど食べるなと言ったのに,あの木の実を食べたのだな。」
-創世記3:7-11。[リビングバイブル]
それで,この「裸」という漢字は,人間が,禁じられた木の実(果)を食べて,「衣」を着るようになる前の状態を指しているように思える。
ちなみに,
|
|
という漢字もあるが,この字は,
衣+皮=被
と書く。
この点に関して,ラビ・M・トケイヤー氏は,こう述べている。
「これは,『罪を犯したアダムとエバの裸を,神は「衣の皮」を着せて「被」った』
という聖書の記事を思い起こさせる。」
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。100ページ。)
「はじまり」を意味する漢字のうち,聖書の「創世記」と関係がありそうなものが,少なくとも三つある。
まず最初に,
|
|
という漢字について考慮してみよう。
この漢字は,
二+儿=元
と書く。
「二」は,「一」という字に,もう一本同じ線を加えて,「二本の横線」を並べたさまを示した指事文字で,「二つ」の意を示す。
「儿」(にんにょう)は,「要」という漢字のところで考慮したとおり,「人のひざまずいている形」,または,「人間の下半身」を描いた象形文字である。その意味は,「人(ひと)」「人間」である。
それで,この「元」という漢字は,
人類の「はじまり」(「元」)は,最初の人間アダムとエバという,「二人の人」(二+儿(人))からであった
という聖書の記述を思い起こさせる。(創世記1:26-28; 3:20)
(注:
この点に関して興味深いのは,中国人は,もとは「一夫多妻」であったということである。
だから,「三」「四」「五」・・・「十」という指事文字の下に,「儿」(人)という字を付けて,「はじめ」という意味の漢字を作っても,べつによかったわけである。しかし,そうはならなかった。
この「元」(二+儿(人))という漢字は,古代中国の「一夫多妻」という文化の中で作られたにもかかわらず,聖書の記述と一致している。)
|
|
この漢字は,
女+ム+口=始
と書く。
「女」は,「要」「婪」という漢字のところで考慮したとおり,「なよなよとしたからだつきの女性」,または,「手を組み合わせ,ひざを曲げた女性」を描いた象形文字である。
「ム」は,「魔」という漢字のところで考慮したとおり,「私的な」「秘密の」という意味である。
また,「漢和辞典」によれば,「曲がった形」を書いて,「自分のためにのみ図り考えること」「よこしま」という意味を表す指事文字である。
(「新漢和辞典」大修館書店,昭和58年改訂版。152ページ。「ム部」)
そうすると,この「始」という漢字は,「女」がこっそりと,よこしま(ム)に「口」にするという意味に理解することが出来る。
この「始」という漢字は,
最初の女性(女)エバが,よこしま(ム)にも,禁断の(ム)果実を食べた結果,全人類の罪と死が「始」まった
という聖書の(象徴的な)記述を思い起こさせる。(創世記3:6,12,13; テモテ第一2:14; ローマ5:12)
|
|
この漢字は,
衣+刀=初
と書く。
「衣」(ころもへん)は,「裸」という漢字のところで考慮したとおり,うしろのえりをたて,前のえりもとをあわせて,肌を隠した「着物のえりの部分」を描いた象形文字で,「衣服」を意味する。または,「おおうさま」を示す象形文字と,「二人で,すべての人」を意味する象形文字が組合わさった会意文字で,「すべての人をおおうもの」,すなわち,「ころも」を意味する。
ここでも,「偏」(ころもへん)として用いられている。
「刀」は,物を切る「はもの」,刃のそった「かたな」を描いた象形文字である。
この二つの文字(衣+刀)を合わせた「初」という漢字は,「衣料に対して,最初にはさみを入れて切ること」を示す会意文字で,布を裁断するのが衣服を作るはじめであることから,「はじめ」の意に転じた,と「漢和辞典」では説明されている。
(「新漢和辞典」大修館書店,昭和58年改訂版。118ページ。)
しかし,創世記の記述と照らし合わせて考えれば,この「初」という漢字は,
神が人間の裸の恥をおおうために,「皮の長い衣」(衣)を初めて作ってくださった
という聖書の記述を思い起こさせる。
聖書(リビングバイブル)には,こう書かれている。
「神様はアダムと妻エバに,動物の皮で作った服を着せました。」
-創世記3:21。[リビングバイブル]
その際,彼らの衣服(衣)の素材となった「皮」(動物の皮)を得るために,何らかの動物が初めて殺され,その皮を裁断(刀)したに違いない。
これは,罪を犯した人間に対する,神の愛の「初め」(最初に示された愛)であった。
|
|
この漢字は,
舟+八+口=船
と書く。
![]() (『漢字源』EPWING版 (編者 藤堂明保, 松本 昭,竹田 晃。株式会社 学習研究社発行,1993年)より転載。 「舟」「八」「口」という漢字の「解字図版」より。) |
「舟」は,中国の「長方形の小舟」,または,「丸木船」の姿を描いた象形文字である。
「八」は,「左右二つにわけたさま」「物が分かれて相そむく形」を示す指事文字で,「八つ」を意味する。
「口」は,すでに何度も考慮したとおり,「人間のくち」を描いた象形文字である。この字は,単に「口」という意味だけでなく,「食べる人の数」や食べぐあい。また,食物を食べるくちの数によって「人数」や家畜を数えるときの言葉として用いられる。たとえば,「戸口」「人口」などである。
したがって,「口」という字には,「人」という意味もある。
英語でも,「(食べさせなければならない)人」「被扶養者」という意味で,
“ I have eight mouths to feed”
(被扶養者が8人いる)
という表現を使ったりする。
(注:
「船」という漢字の「右側の部分」は,「八」+「口」と書いて,「エン」(転音「セン」。中国語の発音は,「イェン」)と読むので,「船」(音読みで,「セン」)は,その右側の文字を「音符」とした「形声文字」(意味を表わす文字に,「音声」を表わす文字を組み合わせて作った文字)であると言われている。
しかし,中国語での「船」の発音は,“chuan”「チュアン」であり,右側の「イェン」は,その発音要素とはなっていない。
したがって,この「船」という漢字は,もともとは,「形声文字」ではなかったと考えられる。)
ところで,この「船」という漢字の中に,「八」という字が含まれているのは,なぜだろうか。
日本ユダヤ教団のラビであった,ラビ・マーヴィン・トケイヤー氏は,こんな興味深いことを述べている。
「船は,船+八+口というように,三つの部分から構成されています。この中に「舟」という部分があるのは,よく理解できます。でも,「八」とあるのはなぜでしょう。私はたくさんの日本人に,「どうしてですか」と聞きました。でも,「わかりません。ただ,そういうふうになっているんですよ」が答えでした。」
あなたはご存じだろうか。今度,だれかに尋ねてみてほしい。
驚くべきことに,普段,漢字を使っている私たち日本人の多くが,ただ「わかりません」と答えた問題に,聖書にはその答えが記されているのである。
たぶん,聖書をまったく知らない人でも,映画や本などで,ノアの日の「大洪水」とか,「ノアの箱船」などといった言葉は,一度は聞いたことがあるかと思う。
聖書は,その,ノアの日の出来事について,次のように述べている。
「神は昔の人々を容赦しないで,不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし,義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。」
-ペテロ第二2:5。[新共同訳聖書]

(画: ギュスターヴ・ドレ(1832年-1883年)
Courtesy of: www.creationism.org )
さて,聖書は,何人の人が助かったと述べているだろうか。
そう。
「八人」
である。
聖書は,その昔,ノアとその家族の,計「八人」を箱船に乗り込ませ,世界規模の大洪水から救われた,と記しているのである。
興味深くないだろうか。
創世記のほうでは,こう記されている。
「まさにその日,ノア,そしてノアの息子たちセム,ハム,ヤペテ,またノアの妻と息子たちの三人の妻が彼と共に箱船に入った。」
-創世記7:13。[新世界訳聖書]
この点に関して,元・中国の伝道師 C・H・カン師と,エセル・R・ネルソン博士は,こう述べている。
「「船」という漢字は「舟」に「八」の「口」,つまり人があり,ノアの方舟には,丁度八人の人間係船―ノアとその妻,三人の子供とその妻たち―が乗っていた,ということである。」
(C・H・カン&エセル・R・ネルソン著/林玲子訳「旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実」(英題“The Discovery of Genesis: How the Truths of Genesis Were Found Hidden in the Chinese Language
”「創世記の発見」) 同文書院,1998年。8,157ページ。)
これは,おそらく,ノアの箱船と,大洪水を生き残った「八人」に関する聖書物語を伝え聞いた人々が,その昔,「船」(舟+八+口)という漢字に意味を込めて書き残した,という可能性が考えられる。
(「目ざめよ!」誌1984年11月8日号22ページ。「聖書に対する洞察」(ものみの塔聖書冊子協会,1994年)第一巻328ページ。ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。98,99ページ。)
ちなみに,「大洪水」の
|
|
という漢字にも,右側に「八」という字が含まれている。
この「洪」という漢字は,「八」人が「共」に,「水」(さんずい)の中を生き残った,ということを示しているように思える。
(C・H・カン&エセル・R・ネルソン著/林玲子訳「旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実」(英題“The Discovery of Genesis: How the Truths of Genesis Were Found Hidden in the Chinese Language
”「創世記の発見」) 同文書院,1998年。160ページ。)
さて,以上,ほんの少しだけ,幾つかの漢字を考慮してきたが,これらの漢字が,聖書の最初の物語(創世記)と一致しているのは,単なる「偶然」だろうか?
C・H・カン師とエセル・R・ネルソン博士は,その著書の中で,こう述べている。
「多くの漢字に込められた記録は,ヘブライ文化の創世記との大きな類似性を示しているが,それは,二つの文化が共通の歴史知識を持っていたと考えるよりほかはない。」
(C・H・カン&エセル・R・ネルソン著/林玲子訳「旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実」(英題“The Discovery of Genesis: How the Truths of Genesis Were Found Hidden in the Chinese Language
”「創世記の発見」) 同文書院,1998年。46ページ。)
数々の「漢字」の背後にある考え(概念)と,人間の初期の歴史に関する聖書物語(創世記)の“類似性”は,中国文化(漢字)とヘブライ文化(聖書)との間に,「つながり」があることを示唆する一つの証拠と言えるのではないだろうか。
しかし,ヘブライ人と古代中国人とでは,地理的にも民族的にも大きく離れているのに,いったいどうやって,この二つの文化が「共通の」知識(概念)を持つようになったのであろうか。
この点で,聖書の創世記11章に描かれている,メソポタミアの「シナルの地」(後にバビロニアと呼ばれるようになった,チグリス川とユーフラテス川の間の地域の元の名。このメソポタミア地域に「人類最古の文明」が繁栄したことは,よく知られている。)で生じたと言われている物語は,私たちに必要な手がかりを提供してくれるかもしれない。
その聖書物語によれば,人類の歴史の初期の頃,全地は
「一つの言語,一式の言葉」
のままであった,という。(創世記11:1。「参照資料付き新世界訳聖書」脚注参照。)
ところが,この一致は,神に反抗する人々によって誤用された。(創世記11:4)
そのため,神は人間の言語を「混乱」させられたのだという。
聖書(リビングバイブル)には,こう書かれている。
「この都の名がバベル〔「混乱」の意〕と呼ばれたのは,このためです。 つまり,神様がたくさんの国語を与えて人間を混乱させ,各地に広く散らしたのが,このバベルの地だったのです。」
-創世記11:9。[リビングバイブル]
興味深いことに,「混乱」の
|
|
という漢字には,左側に「舌」という文字が含まれている。
聖書物語によれば,こうして,多くの言語が生じたのだという。
もちろん,この聖書物語が「史実」(つまり,歴史上,実際にあった事柄)であったかどうかは,人によって意見の分かれるところであるが,仮に「本当にあった話」だと仮定したとしても,今日話されている世界中のすべての言語(たとえば,英語とか日本語など)が,最初の「一つの言語」から“派生”したと言っているわけではない。
(注:
聖書がここでいう「一つの言語」とは,おそらく,最初の人間アダムが話していたと思われる言葉,すなわち,セム語族(その中の特に,ヘブライ語)を指すのであろうと思われる。(創世記2:23; 3:20; 4:25を参照。)
興味深いことに,ヘブライ語の最初の二文字(「アーレフ」と「ベート」)から,「アルファベット」という言葉が出来た。
したがって,世界中の多くの言語は,セム語族(ヘブライ語)から「派生」したわけではないとしても,この最初の言語が,すべての「アルファベット」の基本となっていると言えるのかもしれない。実際,英語や日本語の中にも,その「語源」をさかのぼると,ヘブライ語にあると思われるものも若干ある。)
しかしながら,そこ(メソポタミアの地域)から他の地域に移っていった人々の「記憶」や「概念」は,おそらく,遠く離れた場所の文化や言語にも,多大な「影響」を与えたものと思われる。
その後,古代中国では「黄河文明」が発生したが,中国人の場合には,その「記憶」や「概念」は,彼らの「象形文字」や「表意文字」の中に反映され,それが,「漢字」の書体の“基礎”となっているのかもしれない,とも考えられる。
さらに考慮すべき点として,漢字が「統一された体系」となったのは,「秦の始皇帝」(在位,紀元前221年~前210年)の時代からのようであるが,興味深いことに,その頃(紀元前三世紀~後三世紀),
多くのユダヤ人が中国に住んでいた
ということが知られている。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。100,101ページ。88~96ページ。久保有政著「古代日本にイスラエル人がやって来た
」レムナント出版,1995年。7,55~57ページ。)
また,本当かどうかは知らないが,こんな興味深いことも伝えられている。
「とくに興味深いのは,秦の始皇帝の実父・呂不韋 がユダヤ人らしい,ということです。呂不韋 は,もとは河南省の大商人であったことが知られており,シルクロードの利にあずかったユダヤ人と思われるのです。また彼の子,秦の始皇帝は,青い目をしていて,容貌も見るからにユダヤ人の特徴をしていた,と言う歴史家もいます。」
(久保有政著「古代日本にイスラエル人がやって来た」レムナント出版,1995年。57ページ。)
ま
た,紀元前の時代から,「シルクロード」を旅する人々の大半は,ユダヤ人であったとも言われている。
(ラビ・M・トケイヤー著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史―失われた10部族の謎」徳間書店,1999年。259ページ。)
それで,彼らユダヤ人たちの文化が,「シルクロード」を通って,中国文化(漢字)に多大な「影響」を与えた“可能性”も考えられる。
(シルクロード(英 Silk Road)とは,
「(古代中国の特産の絹を西方の国々にもたらした通商路であったところからドイツの地理学者リヒトホーフェンが名づけたもの)
内陸アジアを横断して中国と西アジア・地中海沿岸地方を結んだ古代の通商路。
中国の長安または洛陽に発し,タリム盆地を経由して西アジア・地中海沿岸に達する。
紀元前二世紀末から開かれ,東西文化の交流に重要な役割を果たしたが,海上交通の発展に伴って衰えた。
絹の道。」
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) (c) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)(c)小学館,1988年)
さらに,「一世紀における東洋への伝道」という記事でも考慮したとおり,中国には,西暦61年頃(一世紀)には,もうすでに
キリスト教
が伝わっていたと考えられ,その「影響」も決して無視できない。
(久保有政+ケン・ジョセフ著「聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史〈2〉―仏教・景教篇」徳間書店,2000年。36~38ページ参照。)
なぜなら,後漢の
|
|

という漢字が見当たらないため,この漢字は,
2000年以上古い漢字ではない
とも言われているからである。
さて,今日,日本人の多くは,聖書やキリスト教の話に,ほとんど関心を示さない。
中には,聖書なんて,自分たちの生活には,全く関係がないと思っている人もいる。
しかし,これまで考慮してきたように,聖書の「創世記」に記されてる物語と,我々が普段使っている「漢字」との間には,多くの
「類似点」
が存在するのである。
確かに,日本人は,べつに聖書の内容を知らなくても,義務教育を受けた人なら,誰でも漢字を書くことはできる。
しかし,今,C・H・カン師とエセル・R・ネルソン博士の述べた次の言葉に,耳を傾けてみていただきたい。
「文字の組立ての原理となるものを知らなければ,多くの漢字が単に発音から作られたと結論づけることになる。そのため,聖書の創世記を知らないものが,漢字を解釈しようとしても,納得のいく説明はできないであろう。」
(C・H・カン&エセル・R・ネルソン著/林玲子訳「旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実」(英題“The Discovery of Genesis: How the Truths of Genesis Were Found Hidden in the Chinese Language
”「創世記の発見」) 同文書院,1998年。69ページ。)
そう。聖書を知らなければ,たとえ漢字を書けたとしても,
その漢字が形成された理由
を,十分納得いくように,人に説明することさえできないのである。
1994年に,ある教育者が,「西欧」の文化に関して述べた次の言葉は,もしかしたら,「東洋」の文化の中に住む我々日本人にも当てはまるのかもしれない。
「信徒であってもなくても,聖書の教えや記述に通じていないと,文化的な意味で理解の欠けた人間になる。」
(Emerging Trends, November 1994, p.4.)
|
|
|
|
![]()
作成者情報
Copyright (c) [possible] All rights reserved.